nagajisの日不定記。
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自粛。書くのもめんどい。
結局方向性とフォーマットだけ。文字量はそれほどでないがきれいに埋めるのに時間がかかるだろう。写真載せコメントは廃止。写真だけでいい。
中から外あるいは中の何かという縛り(=テーマのようなもの)にしたほうがいいのか。旧長野は使えない。縦も使わないとならんな。処理をどうしよう。そのままでいくか。
要するに写真集を作って売ってみようという魂胆だ。チラ見システムと組み合わせれば必要だと思う人だけ買うだろう。いや違うな、必要でないと思われているからこその嫌がらせ、あるいはリトマス試験紙だ。200円くらいでいいか。
やる気のなさに必要性が打ち勝てるかな? 今日は断念したが。あとはコロッケ&焼そばドッグを食って寝て考えよ。
iMacのもOS9で使えるパッチあんのな。知らんかった。ならばこちらのほうが遥かに良い。ポン橋まで行ったのがまるっきり無駄だー
さらに続けて飽きられようという魂胆である。全ては破壊される運命にあり一個人が何かできるものではない。
ぐりとぐ
ストーリーいつもの森に(ry。そこで堺の刃物研ぎに出会う。以下略。
ぐりぐら
ストーリープリクラの一種。赤青のズボンにフォトショられる。
ぐらぐら
ストーリー揺れる。
ぐりぐり
ストーリー以下略。
むりくり
ストーリー以下略。
p-Tarphenylのγ線照射効果
ストーリー以下略。
有島武郎と11人の愉快な仲間達
ストーリー以下略。
ストーリー
ストーリー以下略。
必要に応じて破棄すること
ストーリー区域変更された場合。
粗朶と羊歯って似てるよね
ストーリーあっそう。
来年の正月まで取っておこうと思っていたがたぶん来ないだろうし使えるとも思えないので消化しておく。先日古本市で入手した絵葉書。見れば見るほど理解に苦しむ。色は豚だが日本の十二支ではないしこんな尻尾ではない。犬か牛にしては赤裸裸だ。羊の赤子かも知れないが本当にこんな色なのかは知らない。少なくともこんな寸づまりの足をしてはいないだろう。デフォルメされた郷土玩具をさらに歪曲表現したもののようにも受け取れるが想像の域を出ない。
最も納得いかないのはわざわざこれを木版画で作ってあることで、これと同じものが世の中に複数枚存在している、あるいは存在していたはずだということだ。正月を賀する意図は解るがこれを以て祝おうとする魂胆が見えて来ない。
恐らく作者の術中に嵌っているのだろう。「これ何やねん」というツッコミを待ち構える罠として作られたもののはずだ。そうと知りながら言及せずにいられなくなり剰え200円も出して買ってしまったのは奇妙なポテンシャラーとして諌めなければならないことである。がしかし納得のいかなさは厳として在り考えずにいられない。首筋の書き方もリアリティーがあるように見えて不合理である。そのくせ達筆なのがまた悔しい。
ある語を出発点として連想するものを書き連ねていくとやがてコッペパンに到着するという仮定を立ててみた。検証してみたい。
コーヒー→キリマンジャロ→神の館→ギリシャ風神殿→ポセイドン→三つ股の鉾→鈴鹿隧道→上にあがる→京都市街→ベタベタな暑さ→饐えかけたTシャツの匂い→合宿→峠→空
あれ。ここで行き詰まってしまった。もう一度やってみよう。
iMac→大福→雪見大福→雪うさぎ→あなたのお目目は何故赤い→母さん夢見て泣いたから→タカラジェンヌ→ジャンヌダルク→火あぶりの刑→市中引き回し→地車→泉州→タオル→紡績業の興亡→安部公房→箱→函館→五稜郭→亀甲積み→亀甲縛り→まず不可能→プラシグノット→may not, not→のっくのっく→ルックルックこんにちは→沙吾浄→新島襄→同志社大学→関関同立→侃々諤々→喧々囂々→戦々恐々→日々不穏→フォン・デ・ブラウン→V8→JavaScript→苛々
あれ。また詰まったな。抽象性の高いもの、もしくは他の比喩になりがちなものだと発想が滞るのだろうか。もう一度。
若葉青葉の日の光→菓子缶→そういう句が書かれた菓子缶だったから
いかんいかん。説明的だ。
コッペパンから始めてはどうか、とも思ったが一瞬で終わるな。まるで無意味だ。
最終的に到達したものをコッペパンと見なすのがいいのかも知れない。
アーカイブス→国立国会図書館→不便なシステム→三重県法令集→豊麗→春麗→富士山麓→王蟲哭く→ネイピア数→ハイゼンベルグ定数→電磁気学→ロ大講→傾斜→坂道→峠→青空→球児好児→万年工事→万年山→メーサ→メーザー→コヒーレンシー→コーヒー→カフェイン→2倍→ジョルトコーラ→麦コーラ→漢方薬→生薬配合→サッカロミセスセレビセハンセンとルプリンケルナ→過度に障害を与え又は無差別に効果を及ぼすことがあると認められる特定通常兵器の使用の禁止または制限に関する条約→リングノート→雨に打たれて付いた染み→孤独な旅→コッペパン
おお、できたぞ。第一発想もクリアした。諦めずに考えればよいのか。
第一発想は相関が強過ぎるものが立て続けに出てきたせいで発展を妨げられたのだろう。そこで球児好児が挿入されることにより連鎖の閉塞が打破された。第三発想が収束したのもその辺に原因があるようだ。一つ所に拘泥しそうになった時は裏から眺めてみるとよいのだが、そのタイミングなり角度なりが重要だということを改めて考えさせられた。いわゆる一つの発見だ。Eurekaだ。
で、コッペパンの語源は考えないことにする。何をコッペパンと呼ぶのかもこの際考えない。ただ我々はコッペパンがあることを思い朝な夕なに慕うだけでよい。嗚呼コッペパン。そは永遠にコッペパンなり。而して儚き存在・コッペパン。
コッペパンがコッペパンであるか否かを判断するためには、まずコッペパンとは何であるかの定義が必要である。
コッペパンとはコッペなパンである。
コッペパンとは丸いコッペなパンである。
コッペパンとは隣のパン生地とくっついたまま焼かれた痕跡を有することがあるパンである。
コッペパンとは半分に切ってレタスやハンバーーーーグを挟みたくなるパンである。
対偶で考えてみる。
コッペなパンでないものはコッペパンではない。
丸くないコッペでないパンでないものはコッペパンではない。
いや、2番目のは対偶じゃないな。「丸いコッペでないパンはコッペパンではない」が正しい対偶だ。
んなこたあねえ。両方とも違う。
コッペパンではないものはコッペなパンでない。
コッペパンではないものは丸いコッペなパンでない。
が対偶。
成獣になったモグタンですね