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2011-08-30 [長年日記]

[独言] 帰宅

画像の説明
ゲ○しんどい登りでかえって馬鹿みたいに全速力出して登ってしまう状況を「脳みそが沸騰する」と呼び習わしていたように記憶するが,長袖ジャケットを着て背丈ほどもある熊笹を全力で薮漕いだ結果「体液が沸騰した」.おかげで腕時計無くすわ足は痙るわで散々だった.結果的に2勝1負1引き分けといったところ.

写真は初代安養寺隧道.大正福井県史がいう「峰道切下げ」がこの隧道を指すなら明治八年頃竣工ということになる.ほんとかよ.

もう一つの通称北山隧道はつい4年前まで現存していたものと思われる.今は両坑口とも埋没済.晩年は利用は略ゼロに等しかったようで,誰に聞いても「話だけは知っている」あるいは「子供の頃に一度通ったことがある」という程度だった.前者は明治生まれのばあさんは樫津だったか船場だったか八田だったかから安養寺へ嫁いできて,当時はこれしか道がなく何度も行き来したと聞かされたとのことだった(70才代のおいちゃん談).樫津の方は比較的若い55才だったが3,4才の頃に祖母に手を引かれて白石の親戚の家へ行った時に通ったことをかすかに覚えていると.

丹生郡のこの辺りの地形はとても独特で,基本的にはなだらかな丘陵地帯なのだが,低く鋭い峰筋がそこへ貫入していて,隙間を流れて鋭い谷を刻む川とともに在所を区切る境界線となっている.凸凹な山に泥水をぶちまけてあらかた均したあとに水を撒いて谷を刻んだようなかんじ.狭く険しい谷筋道を抜けると一面に稲田が広がる段丘の上に出たりする.して谷向こうの段丘に明るい在所.福井平野に比べれば不便だが,この広大な耕作可能域は人が住むにあたって大きな魅力になっただろうと思うが,それや焼き物,信長一族出身地ということだけで交通網が発達し明治大正昭和初期の隧道だらけになったようにも思いにくい.鉄道だって鯖浦線以外にも「ほとんど谷毎に1つの」計画があったという.いまだによくわからない.やはり梅浦の海岸線なのか.


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