nagajisの日不定記。
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道路の改良第22巻第5号「全国里程表の作製を望む」に昭和15年頃の道路元標に対する認識がある.田中が言っていたことがずいぶん浸透していたようだ.
記事自体は全国一律の里程表を作成する必要性を訴えた内容.逓信関係には郵便線路図があり,鉄道にも貨物集配の区域表の如きものあり,水路についても水路部測定の水路里程表があって各種用途に利用されているが,道路に関してはそのようなものが存在しなかった.むろん全くなかったわけではなく,明治六年十二月太政官達第四一三号,同八年十一月太政官達第一九九号によって里程調査が行なわれ,各府県が把握しているものがあるけれども,全国一律のフォーマットで誰もが手軽に利用できるようなものではなかった.しかも上記法が大正8年道路法によって廃止されたことにより「里程を測る」ということの根拠?法的強制力?が失われてしまっていた.
道路元標がその代わりをなすものでもなかった.道路元標は国府県道の起終点を定める目的で設置されたものであり,府県道の通過しない市町村には置く必要がないという認識*が通説になっていたため,道路元標間距離を里程に代えることも望めなかった.
然るに道路法施行令第七条に依れば府県庁,師団司令部,鎮守府又は市役所の所在地を国道又は府県道の路線の起点終点とするときは市町村に於ける道路元標の位置に依るべしと規定され,更に同第九条に依れば道路元標は各市町村に一箇を置くと規定されているに拘らず,解釈上は右に該当する国府県道の存しない市町村に於ては道路元標を建設するを要しないと謂うのが一般の定説になっている.道路管理上の基点たる道路元標が斯くの如き事情にあるのみならず,里程標の建設も亦道路管理者の任意に委ねられ斯くて陸路里程の算定は全く法規上も事実上も拠り所を失っていると謂うのが今日の実情である.
里程を把握しなければならない理由として著者があげているものは,以前徳島県の例として引っ張ってきたのと同じだ.旅費を算定するためには里程に依らなければならないが,明治時代に測量された---といっても実測されたかどうかも怪しい---里程を使いまわしているか,あるいは逓信省の郵便線路図等を参考にしているのが現状で,実地と合わないことが多かったうえ,戦時体制になって旅費請求が増えてきた.事務作業が煩雑を極めている中,不明な里程をいちいち問い合わせたり何したりやってられないと.
この投稿記事から,道路元標が里程計測に使われた例はごくわずかであり,そういう用途にも使えないものになっていたこと(そういう使い方をしようという機運もなかったこと)がわかる.国府県道の初めと終わりを示すことだけが存在意義になっていて,その状態で新道路法を迎えたことだろう.
じゃあそうすると,なぜ起終点を厳密に定め,石碑まで設置する必要があったのかということになるのだが,ここんところが解るようで解らない.田中好もそこまで教えてくれてない.府県道起終点を示すだけなら,文章で「起終点はここ」と示すだけでも良かっただろう.石標を置くことで得することといえば,その指示が「大字●●字■■ △番地先」とか何とか書かねばならないのを「××町道路元標」の一言で済ませられるという位しか思いつかない.逆に石を設置することで起終点を動かしにくくなっただろうと思う.改修のたび,新道ができるたびに動かしていたら面倒でかなわないだろうし,往来の邪魔にもなる.そういう邪魔さと天秤にかけた結果か.
もっと単純に,いまの青看板のような役割を期待したものだと考えたほうがいいのかも知れぬ.告示で「県道○○線はここからここまで」と定めてあったとしても,実地をゆく人が皆それを知っているとは限らない.元標があればそこから県道が始まっていることがわかる.あるいは通過していることがわかる.現代の道標的なもの.だったら素直に看板立てろよということになりかねないが.
*「各市町村に一つ」とされていたのは主に郡道の起終点になることを想定したもので,T11に郡道が廃止された結果,国府県道に預からない市町村には今更置く必要がないと考えられるようになった.田中好「道路法」.
奈良県の場合は旅費算定を「里程表」に依ることが告示されていた(あれどこだっけ…).しかしその里程表とやらを見たことがない.おそらく内部的に保持していたものがあったのだろう.「一件」にも里程標調査の記録が綴じられていたし、明治20年代から30年代にかけて里程表を設置した記録もある.しかしその成果をまとめた表は見たことがなく,道路法後に修正されたかどうかもわからない.せいぜい明治の全図や郡統計書なんかに市町村間の里程が載っていることがあるくらい.統計書の個々路線の延長ですらT12以降掲載されなくなる.
三重県は比較的後まで府県道路線の延長を載せていた.統計書に.郡道路線の延長も載せていたことがあるから,かなり網羅的なものを持っていただろうと思う.
近デジに郵便路線図が収録されているが画像が荒くて細部を読むことができない。非常にもったいない。
理論的に考えれば白川発電所の建設用。しかしここまで立派に作る必要はなかったんじゃないか。脇に水路が顔を出しているようなこともなし。いやいやあれか、堰堤の見回りとかにも使えたのか。
思いつきで始めたものに時間を取られている。土木起債の入力は余計すぎたかも知れない。これがどストライクで役立つ人はこの世にいない。自分でも持て余すだろうデータである。国道の告示だけ拾っていくほうがなんぼかマシ。
果たして15号は戦前に繋がるか。戸倉峠の指令は出るのか。S10から遡る時間があるか。
Distillerにかけたところで力尽きる。やはり地図が大変だ。ないよりはマシな程度のものだが入れなかったらますますしょっぱくなるので我慢して作成している。調査に出れば出るほど首を締めることになるのは何ともMな仕様だ。
近畿は近代化遺産の調査が進んでいる(体制が整っている)ように思えます。<br>気のせいでしょうか?
うーん.どうでしょうね.正直わかりません.奈良の調査が恙無く進んでいるかといえばそうでもないですし.<br>地域によって温度差があることは強く感じます.兵庫県などはかなり熱心ですね.報告書を作成したあとも「ヘリテージマネージャー(歴史文化遺産活用推進員)」という制度を設けて近代化遺産の物件の解説ができる人材を養成していたりします.福井県(舞鶴)も近代の資産をうまく活用している印象です.大阪は……身近すぎてうまく判断出来ません.興味を持っている人の絶対数は多いかも知れませんが,近代建築でさえ次々壊されているのが現状で,調査の成果を上手く活用できてないような気がします.知事さんもそういうのには興味がないみたいですし.