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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2014-12-22 12月に穴を開けないためだけに [長年日記]

[] 筒井康隆『虚航船団』初版

p.173 ダエモン二世によるコスモス戦争 ×四五七→○五四七

p.328 LL1 句読点が一つ余計に入っている

いずれも文庫版(平成4年初刷)では直っている。

[独言] 文献調査・聞取調査とその殺害

資料を適当に読だり数人に当たってみたりしただけで「記述がない」「資料がない」「古老も知らない」なんて宣ってしまうのはよくないと思い、自重している。 選択肢はただでさえ沢山あるのだから、手近なところから中りをつけ、刈り込んで整理するためには(自分の理解や記憶を整理するのに)必要かも知れないが、そいつを公けにするとなると話は別。自分が見逃しているだけで、答えがその探索枝に実っている可能性は大いにある。その果実を探している他の人が収穫する機会を永久に奪ってしまいかねない。埋もれずに済んだ史実を知らないうちに抹殺しているかも知れない。実際町村史の交通の項だけ読んで「無え」と憶断してしまい、あとで近代通史とか郷土の偉人とかの項で重要事項を発見したりしたことは枚挙に暇がないからな。

電話で問い合わせをするときは特にそのことを思って気を使う。一度「ない」と言われたら、自ら再度突撃する気になるわけがない。「この方面はダメだった」と愚痴りたくもなる。けれども自分のトークがダメで、不審者扱いされたから「ダメといっとこう」だったかも知れぬし、その確率のほうがはるかに高く、そう答えた担当者史氏の机の後ろのキャビネットに捜して止まない重要資料が収まっているかもしれないのだ。脳裏に浮かんだあの人この人が断罪証言人であるかも知れぬ。自分以外の、もっと熱意を持って事に当たれる人ならば上手くこなしてくれるかも知れぬ。

などと考えてみる一方で「それっていいわけだよねぇ」とも思う。いまこの世の中で自分が最も熱意を持っているからこそこのタイミングで本を読んだり問い合わせしようと思ったりしたのだろう。手を付けた・手をつけかけた責任というものがあるだろう。一度手を付けたならとことんやるのが筋だろう。やって成果を出すのが筋だろう。上手く行かなかったことや見つけられなかったことは言い訳でしかない。

そういう二重思考がnagajisには多い。めんどくせえなあと思う。腰が重く尻が上がらない冬の時期には特に顕著。

であるならば、そういう「よだきい」を打破する策を考えるべき。試してみるべき。今までやったことのない新たな策で生き馬の目を抜くのはどうか。

ということで、デイサービスセンターに凸してみようと思っていることを予め書いてみる。地元のデイサービスセンターなら詳しい人がいるんじゃないか。かつて働いていた人や、そういう人を知っている人に行き当たるかも知れない。現地でモンテカルロ式いきあたりばったりをするよりも効率はいいだろう。怪しまれること間違いなしだが、なあに、これ以上無くすもの・ことは残っちゃいねえ。

[独言] はて

テレビの人に返事をしといたのだが連絡がこない。たぶん迷惑メールに分類されてるな。

[ph.] 三匹の豚

画像の説明

ボンレスハムを連想する形状に着目した。色はむしろ魚肉ソーセージ的。

[ph.] なんばパークスのイルミネーション

画像の説明

画像の説明

年々レベルがあがっている気がする。

[ph.] 写真とタイトル

以前から写真のタイトルの付け方が鼻持ちならないと感じていたのだけれども、そう思う理由というか、イヤなものに思えてしまう理由の拠って来るところがどこかのかを発見した。子供の頃だ。古書棚に突っ込んであった1970年台80年台のフォトコン目録を暇にあかせて引っ張りだしてみたら、どれもシンプルなタイトルなのな。小細工はいらない、写真で語るのだ、という意気込みが感じられて好ましく思った。そういう古い人間だから忌避感を覚えるのだな。

当時の写真はたいてい白黒写真だというのもタイトルの簡素さと関係しているのだろう。カラーではなく白黒の濃淡だけで表現しようというのだから勢いタイトルもキッパリしたものになるんじゃないか。逆にいえば最近はカラーだからタイトルも満艦飾にしないと対抗できない(と思われてる)と。

[煉瓦][] 『大阪毎日新聞』明治43年5月17日(関西煉瓦製造業創始)

原口亀太郎・仲太郎の名前が並列で出てくるだけ……。しかし発見がないわけでもない。

近畿の産業(十四)

泉州の煉瓦業

▲煉瓦事業の沿革 我国に於ける煉瓦業の濫觴は明治二年工部省鉄道寮が堺にダルマ窯を以て製造したるに始まり爾来原口亀太郎、原口仲太郎、丹治利右衛門、児玉、花岡、佐藤、成金社(せいきんしゃ)、稲葉組等或は興り或は[亻+ト](たお)れ十五年大阪窯業会社の設立せらるるに及び斯業の基礎漸く確立し二十一年ホフマン式輪環窯を採用し旭煉瓦岸和田煉瓦貝塚煉瓦津守煉瓦製造所等の創立を見、三十年には年産一億五千萬個以上に達し遂に生産過剰の為に頓挫を来せり

▲需要増加と経営 泉州の土質は煉瓦製造に適せるを以て今日の発達を促したるも亦一面之がため其濫觴を惹起し各自の競争激甚となれり煉瓦相場の高低甚だしきは需給関係よりも寧ろ是等事情に左右せらるること多し而して近時需要益々多きを加え従って其製法に一大変化を来し簡単なる手工業を以てしては利益薄きより漸く大工業的の面目を具備するに至り相場は三十五六年には千個八九円を唱えしもの丗八年には十三円となり三十九年には十円五十銭に暴落し四十年二月より四月に至りて十六円に突飛し四十二年二月には九円台に大下落を演じ昨今十一円台に保合い居れりコハ当業者が市場の大勢に通暁せず思惑心を以て売買を試みる結果にして斯業の発展上憂慮すべきに属す

▲大高庄右衛門氏の効績 氏は千葉県の人現に大阪窯業会社の技師長たり[先]に独逸其他欧米の煉瓦事業を研究しホフマン式焼窯に更に一層好良なる窯炉を発明して特許を得カッセル窯に類せる化粧煉瓦又は耐火煉瓦用窯を製作し其他原形[製作機?]乾燥機等斯業のために改良苦心する所頗る多く堺付近を中心として今日の発達を見たるは氏の力与って大なりというべし

▲組合薄弱 組合の必要殊に痛切なるに拘らず却って之が設立を妨害し製造業者間に何等の連絡なく只僅に大阪窯業岸和田煉瓦堺煉瓦貝塚煉瓦日本煉瓦津守煉瓦の一組合を組織せるのみ而も勢力薄弱にして生産上に資する所なきは頗る遺憾とせざるべからず

▲内外製造の比較 煉瓦事業は其の製法簡易にして技術上の熟練を要する程度少なく監督者の如き亦多くの人員を必要とせざるに本邦に於ては十人に対して一人の監督者あり又直接事業に従事せざる雇用者少なからず(傍点)日本煉瓦の如き事務員と職工と其数相半せりという(傍点)生産費の嵩む亦止むを得ざるなり独逸地方の如き職工数百人を使用せる工場にして事務員兼職工監督者僅に二名を以てすと云う原料は本邦より二倍高く職工賃金は三倍以上を支払い然も製品の本邦品より低廉なるは畢竟此辺に原由するものならんか当業者の鑑むべき所たらん

毎日の古い記事は見出し検索が腐っている。画像でいちいち探すしかない。上記記事を獲得したあとこれといったアテもなくぺろぺろ開いていたら成金商社の広告を見つけた。これが最大の発見。そして有限責任成金商社の社長が若井源左衛門という。明治二〇年九月の記事。

[煉瓦][] 『日本鉄道請負業史』第一巻 (関西煉瓦製造業創始)

煉瓦製造 本区間には三河底隧道を始め大小橋梁等、煉瓦を使用する箇所が頗る多かった。鉄道当局は是等所要煉瓦を製造するため、明治三年堺、大浜通り元凾館物産集会所敷地を堺県より譲り受け、ここに煉瓦製造所を設け、大属原川魁助、中属長谷川彦兵衛をして其衝に当らしめた。

当時は煉瓦製造に明かなる者がなかったので当局は京都府、兵庫県等へ照会して陶器又は瓦造の職人等を招集し、雇外人より製法の教授を受けしめたのである。この時、堺の瓦製造人丹治長蔵なるものが職工長となり、窯は陶器屋慣用の登り窯を三座築造し、一座を八室乃至十室に区分し、これに白地煉瓦一万二、三〇〇〇枚を一緒に容れて焼いた。煉瓦に小煉と白地との別あり、小煉は足踏であり、白地は手押式に依るもので木枠の型を用い、天日で乾燥して焼くのである。原料たる粘土は製造所を距る十町乃至二十町の万代八幡付近より採取したが、その粘土の質佳良なりしを以て形正しく堅緻にして石を凌ぐほどの良質煉瓦を製出することが出来た。是等の煉瓦は小帆船に積載して、大阪、尼ケ崎、西ノ宮、神戸等に送り、それから先は車力に積んで、それぞれ現場に搬入配給したのである。

この煉瓦製造所は明治六年夏、鹿児島県人永井庄右衛門、原口亀太郎両人が地所建物機械一切を払受け爾後の製造に当り、製品は必要に応じ鉄道寮で買上げたのである。(復刻版pp.17-18)

『鉄道と煉瓦』はほぼ全面的にここから引用している。異なるのは姫路物産会所が足されている点。

[煉瓦][] 『堺−もの・ひと・こと−』p.84

煉瓦は安政四年(一八五七)長崎に幕府が製鉄所を設置した際に作らせたのが初めとされているが、堺では明治政府が大阪造幣局を建設するため明治二年(一八六九)東湊の瓦屋藤吉に命じたのがその起こりである。翌明治三年にできた工部省の煉瓦製造所は明治六年民間に払い下げられ、瓦師の丹治利右衛門は独自に工場をつくり堺のレンガ工業が始まった。

明治二〇年(一八八七)頃の資料によれば、煉瓦石三七、三七〇・〇〇〇円、土桶摺鉢五七八・〇〇〇円の生産額で五四八、八八九・一一七円の清酒や五九、五六八・〇〇〇円の醤油等の醸造業に比べれば、少ないがかなりの位置にあったのである。堺がこのようにレンガ製造の地となったのは、良質の粘土が手に入ったからだとされている。

丹治工場が官営工場と別置であったことが明示されている。そもそも明治10〜20年代初頭の統計書には出てこないのだものね。しかしどこから藤吉が現れたのか謎。「藤」がつくのは焼塩壺の伝統からか。

焼塩壺(湊焼)は天文年間に湊村に移住した藤太夫なるものが作り始めた。その後藤左衛門の名。のち難波に進出し難波屋となる。瓦は文化7年(1810)に大坂の瓦仲間に加入して生産と販路確保、文政4年「瓦株名前帳」ではそれまで屋号を瓦に押していたのにかえて「堺改」の極め印を使用して堺瓦のブランドを守ろうとした。とある(同ページ)。大阪窯業+改に通じるものがありはしないか。

『堺』の情報はおそらく戦前堺市史(http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1155035/716)のリライトと思われるが、ここには瓦屋藤吉の名前は出てこない。いくつかの出典が書かれている(最初期のいろいろは古老の聞き書きに加え丹治煉瓦が提出したと思われる由緒書き?から)がそれらは『堺市史資料類纂』に未収録だった気がする。見逃したんか。


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