nagajisの日不定記。
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わかったと思ったらまた不分明に。。。堺煉瓦石はM20時点で150人だったか100人だったかの職工がいるし、広告では少林寺町のを「第一分工場」としているからには本工場があって当然だろうし。しかし南附洲新田「浜」・・・南附洲は大阪窯業だ。堺附洲の位置と大阪窯業堺工場の位置は違う。おかげ山一個挟んで向かい合う形。だから堺煉化石の本工場跡=大阪窯業堺工場かと考えるか、別の南附洲であるかと考えるべき。これは以前の形とあんまし変わってない。丹治煉瓦のヘノマツ村工場を待つまでも無い話なのだよな。
稲葉組(菱橋西詰)と堺附洲が連続するかどうかも定かでない。&、古い大浜通りの三丁目は大谷工場で、これはM30の堺附洲の位置と被らないんだな。年代的には大谷工場=稲葉組の工場くさいのだけど(広告で「菱橋西詰で煉瓦製造せし」云々出てくる)確定できぬ。
こうなると堺附洲の始業を確認する必要が出てくるのだが、設立はM22.11.6、営業開始はM23.1という。前者はこないだ見た範囲。後者はまだ見てない。