nagajisの日不定記。
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増田淳という人は、三次元での見え方をきちんと把握したうえで橋梁を設計していたんではないか、と気づく。人間が実際にその場所に立った時にどのように見えるか、を正確に頭に描くことができたのではないか。ルドルフ・アグリコーラの設計の瑕疵に涙を零した貝塚峯太郎みたいな。
十三大橋の5連のアーチスパン。連の末端にテラスが設けられている。そのテラスに立ってアーチを見ると、門構のグリルの歯車模様が空に透けて見える。車道や他の場所からも見えないことはないが、背後に横構や対傾構が交錯してしまってはっきり視認することができない。またアーチの端の垂直材も比較的目障りでない角度で対峙することになる。この垂直材とブレーストのアーチ材2本との織り成す主構造線がまことにダイナミックで美しくもある。視点場として最適な位置にテラスがある。
穴吹橋のランガートラス。ランガー桁の主塔部てっぺんにとんがった構造材が載っている。ランガー桁の端に立つとそれがよく見える。これがあるお陰で遠くから見た時にランガー桁の上向き凸がさらに鋭敏に見えるようになっていて、非常に効果的なアクセントになっているのだが、間近で見ても見えるようになっているのは案外当たり前のことじゃないんじゃないかしらん。
どちらの橋も、橋の路面に立った時に「大きな空間」を感じる。橋に包まれているというか、守られているというかな感触。桜宮橋や永代橋もいい橋だけど、橋に立った時渡る時に威圧感を感じる。力があふれかえっているように思える。増田の設計した橋には、それがない。橋を渡る人がどう感じるかまで考えて構造やら部材の大きさやらを選んでいたんじゃないかと思う。でなきゃあの非凡な感じが説明できない。