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2022-07-02 [長年日記]

[納得がいかない]節電で死ぬのもよいかもしれない

コロナ禍の辺りから世の中がおかしくなっている気がしてならない。政府が節電を求める→節電に協力するのはいいことだが、この猛暑の中で節電してエアコンを停めて死にかけたとか「エアコン節電するなんて馬鹿か」という愚な声があがったりとかしている。政府はちゃんとエアコン使用でみを守るのを大前提として節電を呼びかけている。人の話をちゃんと聞いているのか聞いていないのかさっぱりわからない。

言われた通りのことしかできない、自分の判断で行動できない人が増えたように思われる。というよりもそういう人ばかりの世の中であったことがコロナ禍によって滑稽なまでに浮き彫りにされたのかも知れない。習え右は日本人の得意技だから。他人がやっているから自分も、で生きてきた人間ばかりの日本である。

感染症の専門家が屋外でのマスクは不要と判断してそう教えてくれている。それに納得したので最近はほとんどマスクをつけていない。コンビニの店内とか電車に乗る時とか。だって暑いじゃん、暑いを通り越して汗で湿ったマスクじゃ息ができないしマスクの意味もない。ただでさえ呼気を通しにくいマスクがよりいっそう気密になって鼻の脇とか顎の下から吹き出すんじゃマスクをしている意味がないではないか。結局のところ「他人がしているから」とか「してないと白い目で見られるから」でしているだけで、感染しないためにつけている人間は皆無なんじゃないだろうか。

でも最近感染者増加傾向じゃん、第七波来てるじゃんという人もいそうである。それが心配でマスクをつけるというその人の判断はよい。尊重しよう。それをあるはずもない「常識」とやらとみなして他人に強制するのはよせ。と思う。別にマスクしてなくて非難されたことは(今のところ)ないんだけどな。あっちこっちで聞く話を思い出すたびに暗澹たる気持ちになる。

自分の権利を守るために声を大にしていうのは構わないが、その主張が受け入れられたと勘違いしてエスカレートさせがちなところがある。あいや、違うな、エスカレートしていると感じることからして少しずれているのかも知れない。意見をディベートして着地点を見出す努力をしないまま、ただ自分の思い通りになればそれでいいとして声高に主張しているようなわけで。マスクをつけたいという意見は尊重する。だからこっちの外したい主張も吟味してほしい。そういうのでないと双方すり減るばかりだ。

話の流れでマスクの話ばかりになったが、日常で起こったささいな軋轢を自分の意見のみに拠って針小棒大に避難したり嫌味を言ったりしがちな日本人的思考日本人的指向が嫌いなだけで、他の何だって構いはしない。自分の事しか考えない……そう言われて耳が痛くならない人間はどこかおかしい。全部とは言わない、どこかがおかしい。

いつだって、自分がその立場だったらどう考えるだろう、と思うことのできるような心の余裕を持っていたいものだ。心の余裕なんていうと切羽詰まった人々から何か言われそうではあるけれど、そういう反論を恐れていては自分の主張を主張できない。「はいはい左様ですか」と交わして誤魔化すのは簡単。無視して我不関も楽ではある。


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