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2025-06-17 [長年日記]

[きたく] 強行軍

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歩いて深山第一砲台→附属砲台→電車に間に合わなかったので丸治醤油→和歌山線との乗り継ぎがう●こなので下車して南海本線宇治暗渠→和歌山駅で乗り継ぎう●こ→紀和鉄道紀ノ川橋梁。暑い中よく頑張ったと思う。間に合っていれば南和まで行ったかもしれんがあの暑さだからなあ…。

深山第一砲台のカナ、漢数字、が木津川橋梁や山陽鉄道絡みのと完全一致しなかったのが超意外。書体はよく似ているのだが完全一致はしないんだ。深山第一砲台に混用されているところからカナまで旭商社と考えていたのだけれども、それがきちんと繋がらないとなると、ちょっと困る。やはり一年二年ですっかり作り変えられてしまうんだろうか。市古の印だって1、2年しか使ってないはずなのにあんなに欠けてしまってたしな……。

南海もこの辺りまでくると山陽形を使ってて興味深い。大和川では東京形だったのに。孝子で肉厚煉瓦を見たのはおかしいことじゃなかったんだな。そして紀和鉄道は並形煉化石といって東京形を使っている不思議を発見。やはり並形は異形ではない普通の煉瓦という文脈で使われる場合とそうでない場合とがあるのだろう。廃毒には間に合わなかったけれども興味深い事実である。 画像の説明

ということは、次は川端線を中心にか。高野線の南のほうとか(東京形かな)、真土とか(東京形かな)。あ、吉野鉄道測っといてもいいか。大正元年なら多少は意味がある(が大阪窯業の化粧煉瓦とわかってたらあれか)。やはり紀の川沿川のほうがおもしろい。


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