nagajisの日不定記。
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七月十日頃を盛とした暑さも次第に軟〔和〕らぎ、たまヽ風を見る。
五時間目は国漢乙の補習授業をなす。人に比しいちゞるしく書取不得手の故なりと。以て幸となすところなり。暑中稽古以外は自習なりき。今日の稽古は最初に於て、最も後に並びたる故一回のみにて全くきつくも暑くもなく、時間不足を感じたり。
軍神加藤建男少将に付き、
閣下は支那事変勃発以来今日まで各地に戦十回、以て其の間七回の感状を授けられたり。遂にビルマの上空の花と今年五月散られたり。
北海道旭川中学・仙幼・陸大専科を経られ陸士三十八期生なり。
一已にして敵機を撃墜すること二百数十機なり。何と偉ならずや。
陸軍に於て二階級中佐より一気になられたる方は之を始とす。
かの精神を予之を汲み取らん。
今日も亦雨にして防暑衣にては寒く、又夕より風強くなる。昨日の予定の愛校作業、二訓は台上の除草を八・〇〇より一〇・三〇まで行う。雨の中の事とて外套が邪魔になり、作業はかどらず。十四・〇〇より校長内務検査にして其の他は整頓・自習なりき。運動班運動は主に鉄棒を行う。終了後大車輪の逆立練習。中々むずかし、然し毎日僅かながらも上手になりつゝあるを覚ゆ。大部立つ。今日も五分前、何時も食前五分まで体操して残るは予と入江と志摩にして今の時期に充分鍛えんとの心の下に実施中。眼悪くして困る。パチヽ眠し。
がっつり働いたダス。全編up。今回はpdfの機能を使って遊んでもらうダス。
TUKAさんの旧橋もひとまず終える。+メモランダム。自分の旧橋は地図を描いて了(結構時間がかかってしまった)。ペースとしては悪くない。明日は旧橋と廃道を読むup。2ページだけだけどな>廃読
ノートパソコンのHDDが悲鳴を上げている。文字通りの悲鳴だ。流体軸受けの静かなHDDだったはずなのに、シークするとギーーギーーギーーカコンッを繰り返すようになった。治ったり治らなかったりでバックアップのタイミングが計りづらい。でも間違いなくそのうち昇天するだろうという音だ。
いま現在この文章を打っているノートパソコンが一番よく使っているメインマシン(Macはオペレーヒョン専用だしWindows2000/BeOSのPrecision420はあまり使わないし)。PanasonicのLet'snote Comm。殆んど使わないWin2000と漢字調べにしか使っていない超漢字と普段使いのBeOSのトリプルブート。マシンそのものは最近ジャンクで入手したやつだがLet'snote Commは2002年の旅行前から使っていて地味にこれで3台目。そうしてHDDは2002年の旅行前に新品に差し替えたのをずっと使い回している。
思えばずいぶん酷使したHDDだ。ヒップバッグに入れて3カ月間自転車に乗っていた。ほとんど全ての峠を友にしている。よく壊れなかったものだと思う。それより先にキーボードが使えなくなってしまうのだ。いつも。
ひとまずBeの必要データはバックアップした。あとはWindowsでリカバリできる体勢を整えておかないと。何しろWinが入らんことにはBeOSも入れられない。
か(自粛)。対処療法が効かなくなってきたのか、油断しただけなのか。
赤白斑の身体を見て、あの時はこれで旅をしていたんだなあと思い出す。あの頃の気概はどこへ行った。今は書くのもつらい。
どう書いたものか。
津守煉瓦の工場跡には何度か行ったことがあるのだが、大阪市街に出る用があったので、ついでに足を伸ばしてみた。再訪の理由はいくつかある。先日大阪煉瓦の跡地で六稜星の焼損煉瓦を発見したことで津守煉瓦=六稜星という仮説が揺らいだこと、以前撮ったはずの工場近くの刻印煉瓦の写真を紛失してしまい焼損煉瓦だったか否かが確認できなくなったこと、等々。
地図は右写真を参照されたし。明治30年に創業し、少なくとも大正12年まではここで営業を続けていた。西に流れる大きな川が大阪の工業河川の代表格たる木津川。工場の北には七瀬川という枝流があり、さらにそこから分かれて大和川のほうへ流れていく十三間堀川もあった。そのような堀川と南海鉄道高野線(旧高野鉄道)とに挟まれた立地で、工場敷地としてはこれ以上ないという位に恵まれていた。ちなみに木津川駅の西には駅に隣る格好で堀があり貯木場になっていた。
『工場通覧』における工場主は一貫して林尚五郎という人物だが、津守煉瓦が最後に現れる資料『窯業銘鑑』大正13年版では林信一郎が代表者となっている(この頃尚五郎は中之島で林商店という土木材料卸業を営んでいた)。また末期には土管も製造していたようで『京阪神商工録』大正7年版には「林土管煉瓦製造所」という名前で掲載されている。代表者は林清重である(余談だがこの工場の商標は大阪窯業と非常に紛らわしい。煉瓦に押したら見分けつかないんじゃなかろうか)。このほか林トメという名前で登録されていることもあった。それに加えて大阪煉瓦の役員に林信一郎他がいて、大阪煉瓦の後に興った狭山煉瓦製造所は林静枝が所有となってたりするわけだから、どうやら林一族が経営する同族工場?であり、よほど煉瓦と縁がある人々であったらしく見える。
大正初期には大阪窯業、岸和田煉瓦などとタメを張るような大工場で、ここの他にも泉南地方にいくつもの分工場を有していた。大阪狭山にも素地工場があった。そういう会社だった割によくわかっていない。津守村の村史に相当する本でも郷土史家の本でも「煉瓦工場があった」と記されている程度だ。
工場跡には大きな駐車場と工場長屋があり、いくつかの工場が入っている(大半は倉庫として使っている模様)。この敷地の周囲には一切の煉瓦を認められない。工場敷地として何度も入れ替わりがあったためだろう。七瀬川の跡地(右写真)も道路として使われていて昔の面影を留めていない。木津川駅の方面から入っていた引込線跡も不分明。
煉瓦が見られるのは南海線の東側だ。山口たばこ店(だったっけ)の向かいにある菜園に推定津守煉瓦の六稜星が多数使われている。春に来た時は植生が薄く、縁石に使われている煉瓦を確認できたんだけど、畑はその所有者の家ともども廃れてしまったようで、金網に囲まれた状態で草むし切っていた。
写真は金網の外にまろび出ていたもの。焼損ではなく製品の破損物だ。山口さんちの隣の区画に煉瓦基礎の一部が残っていたので、そのへんから出てきたものである可能性も高い。なにより煉瓦工場とは線路を隔てた位置だからな。
大阪市街で煉瓦を探すようになってから、この六稜星の刻印を飽きるほど見た。大正末期に廃れた会社のものと想像するには多すぎるんじゃないかと思うほどだ。煉瓦建築や橋台では大阪窯業・岸和田煉瓦などの大御所の刻印をよく見るけれども、市街地に転がっているものはたいていがこれだ。
この違いは流通ルートの違いを反映したものかも知れぬ。大きな会社は大口注文を受けてドカッと作りドカッと納入した節がある(その結果一度に多量の煉瓦を使う構造物によく見られると。以前はそういう構造物しか見てなかったものな)。小売を中心としていた会社のは一般市場に出回り民家の基礎だとか水回りだとかに使われ、解体・整地されて転石になりやすい。のではないか。日本煉瓦もどちらかといえばそんな傾向があるように思う。
刻印の大きさに大小があることも知った。写真の小型刻印のが圧倒的に多い。東海道線吹田駅近くの架道橋に見られるものは中くらいの大きさ。
肝心なことを書き忘れた。そういうわけで非常に大量に広範囲に分布しているため、工場周辺で見つけたとて、それが即津守煉瓦のものと結びつけるのがためらわれる。せめて焼損煉瓦の1つ2つは見つけなければ……。
それにこんなのも落ちてたし。和泉煉瓦(二代目)の刻印煉瓦の断片。これは線路脇の空き地の袖に転がっていた。この区画の一部で工事をしていて、その関係で草刈りされていたお陰で気づくことができた。
大阪で井桁刻印というと貝塚煉瓦と結び付けられがちだが、大正中期に創業し大阪窯業に買収された和泉煉瓦も井桁を社章に使っていた。そうして同じ刻印煉瓦が明治45年から分譲開始した阪急岡町住宅地の一角に使われている。貝塚煉瓦は明治39年に大阪窯業に買収されているので、岡町住宅地で使われる筋合いはないのだ。
念のため注記:貝塚煉瓦と同時に買収された和泉煉瓦とは別の会社。南海堺東駅の西方にあり、大阪窯業の堺東工場になった。そういえばここも南海沿線なのだな。以前この刻印を見かけたのも南海の線路沿いだった。
おまけ的に。JR芦原駅の東側、かつて鼬川が流れていた辺りには、かつて耐火物製造工場が蝟集していた。品川白煉瓦の大阪工場もここにあった。マックスバリューの西側で工事が絶賛進行中の一角などもそうだったろうと思う。以前訪れた時には道路脇まで瓦礫が転がり出ていて、そんな瓦礫の中に焼けただれた耐火煉瓦が混じっていた。
そんな耐火物銀座も今は昔……と思っていたのだが、たった一件、丸三耐火煉瓦だけは残っている。丸三は明治22年に中臣吉郎兵衛が興した会社で、筧工場に合併吸収されたが丸三の表記と商標は引き継がれた(丸三筧耐火煉瓦)。その後再び丸三に戻ったのか、新たに興ったものなのかまでは調べられていない。
冒頭でややこしい話になるのは避けたいのだがすでにそういう流れで終わらせてしまったしな前回。だから脳髄反射で書くなとあれほど。1,2,とアタボウ話で来て3の落差がすごくアレであるな。
夕べにひどく文字情報の多い夢を見た気がしないでもない。良質の小説を読みたいものだ。
住所のcorrectionはB2のほうがやりやすいので、B2上で修正し、外部出力.CSVったうえでゆうプリRに取り込む、というのは以前からやっていたのだ。しかし全ライン必要というわけではないのでExcelで開いて利用するのだけ残して上書き保存して取り込んでいた。けれども☎が追加されたことによりCSV0落ち問題がここでも発露する事態に。
0落ちを回避するためには「ファイルを開く」→ウィザードで文字列指定とかやらんといかんし、下手すると番地の「1-5-3」を勝手に日付に変えやがったりする。余計なことすんなボケ。何にしろExcelは糞。聳え立つ芳しき糞。持て余す巨大な糞。やってられっかってんだばーかばーか。
なのでまたphp+ブラウザで処理体系を構築したった。要はCSVの必要なラインだけ抜き出してコンパクトにするだけだ。文字コードを気にすることもない。ついでにブラウザ上でパケットとパックを選べるようにしたった。73カラム目の「予備1」に種別、74カラム目にラベル番号、75カラム目にサイズを放り込んで、出来上がったCSVをダンゴ虫カスタムフィルターに通せば一発で登録できるうえ電話も郵便番号もエラーなしでゴーが可能になった。今まで見たく設定変えて二度取り込んだりしなくてすむ。これでまた時間短縮だワァオ。
ついでにkanri.phpから直でメール送信できるように修正してみた。send_mailとphpMailerの流用。実際に動くかは試してない。また明日。
追記:意気揚々と実戦投入したらチェックとデータラインが1行ずれることが発覚しugly hackで切り抜けた。ダボが。1行目はarray_shiftで抜いたんだろが。
メールの方は2、3の勘違いを修正しただけで動いた。action="post"とか。よくわからんけど動いているのは結構気持ち悪いものがあるが背に腹は変えられん。
銑鉄材料として古レールを盛んに輸入した件、およびそのような屑鉄として輸入したレールをレールとして使用していた例もある件。どこかで読んだ話、と漠然と記憶していたけれども神戸大学新聞記事文庫に丁度いい記事があった。
昭和8:アメリカの古鉄盛んに日本へ
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00053123&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA
昭和5:屑鉄輸入税率決定の「改造用」に疑義 範囲限定を商業者が陳情 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00869338&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
昭和5:輸入屑鉄の検査厳重となる
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00052865&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
古レールは鉱山坑道の支保工としても利用された。http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00056946&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
ちなみに第一大戦後の鉄鋼業概観。
戦後に於ける我鉄鋼業
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00045607&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
基盤とHDDを連絡するSATAケーブルが不調で認識していなかったのを見抜いたのは我ながら褒めてやりたい。ケーブルコネクタを開腹してゴニョゴニョしたら治ったのもすごい。問題は「このケーブルの何がおかしかったのか」「どこを触ったので治ったのか」がわからないところだ。
更に悪いことに、翌日またBoot Diskが404になってしまう現象が再発した。初日はWindows UpddateしまくったりDISMかけたりして散々ディスクを虐めたのだが特に問題なく済んだ。そして電源入れたままで外出して、帰ってきたら見つかりませんとか宣われてさ。困ったもんだ&HDD虐めてる最中じゃなくてよかったよ。
HDD側コネクタは念のため開腹したままにしていたのが幸いした。それを虫眼鏡で眺めたりつついたりしてみて、そんでもう一度繋いでみたら無事読み込んで。手元に来た時点ではBIOSからも認識されてなかったしHDDランプもつかなかったので給電側の問題と思ってたんだが2度めの404ではランプがつくが認識はしないという状態になりますます謎である。変なところで変なふうに接触しかけてるんだろうかと思うとおちおち使えない&売ることができない。
このSATAケーブル、基板側のコネクタが妙なやつで、例えばDELLのノーパソとかREGZAに使ってあるやつとかとも違う。このメーカーの同じマシンかその前後にしか使ってないんじゃなかろうか。故にこのケーブルだけ購ってくることもできずで大変困る。だからといってケーブル全部繋ぎ直すほどの暇も技術力もない私である。てか、コネクタ内部のはんだ付けがこんなに汚いとは思ってなかったな。明らかに人力で製造されている。今どきこんな部品もあるんだと逆に感心してしまったことだった。
このマシンはメカニカルタッチなキーボードなのが(個人的には)珍しくてポチポチやってしまいたくなる。もうちっとカチッといってくれたら最高なんだけどな。アイソレートなキートップでメカニカルだとなんだか変な感じだ。本当のメカニカルではないんだと思う(パンタグラフ見えてるし)。いまの感じじゃTF101とかdynabook Tシリーズのキーボードのほうが触ってて心地いい。
貧しい人生の中で「壊れたものを直して使う」ことばかりやっていたものだからいつのまにかPC修理が上手くなっていた。無駄な経験なんてないんだ、芸は身を助けるんだと改めて思う。昨今はデータ的に修理することさえ覚えた。割れたものをくっつけるとか壊れた部品をとっかえるとかいう「物理的な修理」だけでなく、起動しないHDDをモニョモニョして立ち直らせたり起動直後にBSODで死ぬ再起動する死ぬの無限ループを断ち切ったりすることができるようになった。あとは不良セクタがらみのも治せるようになったらな。余りのHDDあればコピーしてほえほえできるかも知れないのだが。
何があってもなかっても。何もない一日をさみしいと思わず何もない一日と認識するのみのがよい。
大阪でもどんどん罹患者が増えている。一時期の落ち着きは何だったのか。そうして相変わらず無縁な私。この世の中のどこで流行しているのかという気がする。夜のお店にも満員電車にも縁のない私。
最近らじるらじるで更級日記の解説を聞くのがマイブーム。あの手の古典文学は高校の時に問題で断片的に読む程度だった。勉強する対象みたいな印象。感情移入のできないどこか遠くの国のおはなし、みたいな印象。でも、懇切丁寧な解説のおかげで作者の意図とか機微とかが知れてなるほどなるほどと頷いてばかり。女性が月を見るのは不吉とされていたとか、月光に照らされるのはよくないことと考えられていたとか、ここは源氏物語のどこそこの条をモチーフにしてるとか、そういう背景を知っていて初めて趣がよくわかるものなのだと知った。はしるはしる。
藤原孝季女って今で言う喪女だよね、ワナビーな女オタクだよね。うんうん。たぶん一億万回以上言われていることだろうけれど。でもまあ後には結婚して子供もできて普通の人生を歩めるようなのでよかったじゃないか。
時系列を整えれば、いまの日本人は平安時代の人間とあんま変わんないってことになりそうであるが、楽して生きたいとか空想の世界に生きるとかは人間という生き物に普遍の性質であって、千年万年経っても変わらないのかも知れない。そう願いながらそのように生きることができないのも。
何のために生きているのかを考え始めると最終的には闇に呑まれてしまいがちなので、何をして生きれば自分は満足か、を考えるようにしている。何をしたら楽しいか、ではなくて。楽しいことを追求するのも行き先は崖だ。崖の上だったり崖の下だったりで結局は行き止まる。その崖をよじ登ったり這い降りたりするのもいいかも知れぬが大変だ。それに費やす時間があったらもっと他のことに使いたい。
「マスクをしなければ罹患する可能性があります」
「マスク着用によって熱中症にかかる可能性があります」
「可能性」。どうもあまり好きになれない言葉。間違ってはいないが免罪符か何かのようになっていないかと思う。そりゃ、可能性はゼロにはならない。全く安全、心配いらないとは言えない。そうなることが起こり得ることに思いも及ばないひとに対する注意喚起にはなる。なるだろうけれども、なんかもやもやする。
「ORJが爆売れする可能性がある」。文法的日本語的には間違いじゃない。だがその可能性は限りなく限りなく小さい。九十九里浜のどこかに落としたピアスの片方を見つけるくらい小さくて、ほとんどゼロとみなしてよい。だがゼロと言い切るには寂しいので「可能性がある」と言っておく。そんな使い方が世の中に横行している気がする。
そうして人は「可能性がある」の部分を、誇大解釈なのか意図的なのか、はたまた無知の賜物なのか、無視しがち。「マスクをしなければ罹患する」「マスク着用によって熱中症にかかる」と理解する。1/10000の可能性に一万をかけて1にしてしまう。よってマスクをしなければ不安になる。旅に出なくなる。どころか、他所から来た人を病原菌扱いして忌避する。そのくせ世の中は後藤トラベルである。
GoToトラベルという発想自体は悪くないと思う。そうでもしなければ地方が死ぬからだ。可能性はあくまで可能性であって必然ではないと、きちんと理解している人の発想の所産である。そうしてそれと「一般」の解釈は合わない。噛み合うはずがない。
仮にすべての可能性を数字で示すことができたとしても、例えば0.001%の確率で罹患すると言うことができたとしても、わずかでも可能性がある限り、それは100%にされてしまいがち。人が賢くなり、さまざまな想像ができるようになり、起こり得ることをあれこれと列挙できるようになればなるほど、可能性に縛られることになる。雨に濡れたら風邪を引くとは思われていなかった。体温を奪われ自律神経が乱れているときに病原菌を得て風邪をひくことがある、と考えられるようになって初めて「雨に濡れると風邪を引く」ことになる。故に昔の人は雨に濡れても平気だった。その後の対処法を知っている。
トイレットペーパーが品薄になる可能性があるから買い溜めをする。隣国に侵略される可能性があるから武装する。将来の一大消費地になる可能性のある地域が他所の国に取られてしまう可能性があるからこっちから戦争を仕掛けてやる。みな、可能性に踊らされている。
可能性にゼロを乗算する回路でもあればいいのに。除算してundefinedでもいいんだけれど。後者のほうがいいかな。
_ 飯盒 [亜細亜煉瓦なんていう会社があったりするのでしょうかねェ。。。]
_ nagajis [大阪や兵庫には東亜●●という耐火煉瓦工場があったらしいので、その可能性があります。兵庫県赤穂市には「亜興窯業株式会社」なんてのもありました。亜興=赤穂なんでしょうね(これはS14‐S24の会社なの..]