nagajisの日不定記。
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以前小曽根の煉瓦工場について字向イ山だったんじゃないかと書いた者だが。どうも自分の早とちりであったらしい。コピーし損ねていた新聞記事を取得しに行った時、他の記事でも関西煉瓦石のことが載っているのを発見して、そこでもやはり「字白山」となっていた。1つ2つじゃない数の記事で。故に「字向山」を書き間違えたものではないと訂正せざるを得ない。
加えて、明治29年に豊島煉瓦が設立された時、その本社は桜塚に、工場は小曽根村字紅山と豊中村字市ヶ谷に築こうとした。ここでも小曽根が出てくるのだ。何か関係があるんじゃないか。
それで、24日のエントリに書いた予定地跡散策に相成ったわけである。この日は特にこれといった発見はなかったが、帰り道に、ふとした閃きがあった。
字市ヶ谷の近くに「城山町」という町名がある。
城山。しろやま。白山。ひょっとして小曽根の煉瓦工場の字白山って、いまの城山町のことなんじゃないか?
城山町は字市ヶ谷の東隣といってよい位置にある。城山という小字もある。しかし「新修豊中市史」の小字図ではどちらも大字小曽根の範囲に入っていない。中之島で見つけた小字リストでも旧小曽根村の村域でないらしく書かれてある。が……考えてみたら明治19とか20とかの話なんだよな。その後市町村制が始まって町村整理された結果小曽根村や豊中村が成立した。資料に書かれてある小曽根村はそれからさらに半世紀以上経った頃、豊中町と合併して豊中市になる直前の小曽根村なのだった。昔は小曽根が城山町のほうまで拡がっていたんじゃないだろーか。
字城山はこの辺り。岡町の丘が落ち込んでいく辺り、古墳時代には岬か鼻かであったような場所。今はそのてっぺんに墓地があり、丘の麓には寺社が並んでいる。その周辺はマンションや住宅街が連なっている。どこにでもありそうな「住むための空間」に今はなっている。
けれども、元「白山」であるとしたら、山全体が煉瓦素材の粘土であったかも知れない。煉瓦に使う土は白かった。「焼くと赤くなるんは不思議やねえ」とバンレンのあの方も仰っていた。
段丘のどこかにあったというのもあり得る話。登り窯で焼くことが当時は多かったから。平地よりも傾斜が必要なのだ。
というわけで、24日も少し歩き回ってみたのだけれど、これといった発見はなし。今日また散歩がてらに歩き回ってみた。関西煉瓦石に直結するような発見はなかったけれども、意外な刻印煉瓦が出てきたりして、ちょっと面白かった。
例えば兵庫県印南郡阿弥陀村で見かけていた「日」刻印。 山陽窯業を重ね合わせたものだと勘違いしていたやつだ。それがこんな近くにあるとは。チョボがついているのまでそっくりだ。藤井寺の前にある樋の固定用に使われていた。
上に写真を掲げた墓地の片隅にはこんな刻印煉瓦も。『/』を三分割したような刻印。阪鶴鉄道で見られるものにも似ているが、向こうは歯車を転がしたような感じであって、これとはちと違う。むしろ『/』を割ったというほうがあっている。