nagajisの日不定記。
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日曜日。気合入れて朝6時に出発したのに岡町駅に折り畳み自転車のネジを忘れてきてしまってW.B.ショックレー、というところから一日が始まり夜8時までレール柵に取り付いていた馬鹿である。
野田尾の全柵を調べ終えた。期待していたような古いレールはなかったけれどもWENDELが出てきてフランス枠が埋まった。英国米国独逸国に白耳義仏蘭西が出揃ってそれだけでなんか楽しい。あと野田尾隧道の入口柵は32Kgの満鉄レールだった。こんなところにまで広がっていたのか>MR。
現役の福知山線を全線調べたらさぞ面白いことになりそうな気がするけれども、沿線で最も難所だったのがこの廃線区間なのであって、他ではそんなに使っていないようにも思われるし、しかし阿草があれだったのだしなぁと思うと捨て置くこともできず。テイのいい泥沼である。渓谷沿いは怪しんだほうがよいのかも知れぬがこれ以上範囲を拡げるつもりはない。
どこで区切りをつけるか迷う。残すは北山隧道の辺りだけなのだが、あの辺りにある柵はどれも新しい柵で、その作りから察するに大正以降のレールがメインになっていると思う(事実そこにBSCO STEELTON>CONTESCO<を見た)。そこまで調べるとしたら少なくともあと一日二日は通わなければならないし柵図の作図だって馬鹿にならぬ労力だしそのくせ出発点の気概というか狙いというか、要するに「こんな古いレールがまとまって存在してた!」という発見の驚きと喜びとを希釈する方向にしか作用しないように思われてためらわれるのだ。しかも深入りすればするほど説明が必要になるわけで、レールの製造の話だとか規格の変遷だとかいうバックグラウンドの説明までしなければならなくなることは必至であり、首を突っ込み始めて間もない自分が自分以外に懇諭し尽くせるほど理解できているわけでは決して無いのだ。打ち切っても進めても泥沼の中であることに変わりがない。
午後から武田尾へ移ってCAMMELL 1874の拓本に挑戦する。長い上に肝心の年号のところに金具があって、なおかつ「4」が欠けている。苦労して作った割にはさっぱり役に立たないものになってしまった。まあいいこれも練習だ。Darlingtonの平底レールはそれなりに綺麗に取れたけれどもこれも年号が欠けている。B陰刻がとれたことに満足しておくか。そうそうこの柵の年号不明CAMMELLが1874であることを確認できたので都合3本の残存が確認できたことになる。CAMMELLの平底は他に1878があったっけ。考えてみたらこれも曲者だな。その頃には大阪京都間できてたでしょ。大津より東なのかな。
ついでに夜間雨中探索のとき落とした手拭いを回収することができた。ズズ汚れた汚ねえタオル、と思ったらそれだった。
先日大津へ行った時に見かけた看板。赤字が退色て読めなくなった、よくあるタイプの「穴埋め問題」看板。元は銭湯の中に掲げられてあったものらしくその場における注意事項が書かれてある。 なかなか難易度が高い。
最後のこの穴がどうしても埋められなかった。パソコンで「うきん」と入力し変換すれば答えが出てくるに違いないのだが、安易にわかっても身につかないだろうと思い控えている。そうしてここ二三日事あるごとに考えているのだが、やっぱりわからない。わかりそうでわからないのがいやらしい。
みなさんもどうか答えは教えないでいただきたい。
胡散臭い人の胡散だと思います。
よく見たらお節介だった、すみません。
あーっ! 「うさん」だった! スミマセン、読み間違えてました。ははは・・・