nagajisの日不定記。
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「建築学講義録 巻1」に型枠サイズと焼成品サイズの具体例が書かれている。大変ありがたいのだが、一寸理解に苦しむところがある。
素地の煉瓦石を焼けば長さ十二分の一より十分の一縮むものゆえ煉瓦石の型を造る時には右の割合にて型を大きくなし置くべきものとし譬えば東京形の煉瓦石を造る時素地の寸法は
長七寸五分
幅三寸六分
厚二寸}は縮み方を十分一とすれば{ 凡八寸三分
凡四寸
凡二寸二分なり諸君のうちに或は七寸五分の一割増しは八寸二分五厘にして八寸三分にあらずと云われる方もあるべけれども八寸二分五厘が一割減れば七寸四分二厘五毛になる故矢張り八寸三分にする方が正しきものとす其仕方は八分の一引けば九割残る勘定なれば之にて望みの寸法を割りて素地の寸法を知るものなり
諸君のうちに云々のところはわかる。一割縮むからといって所望のサイズの一割増しにするとおかしなことになるって話。しかしボールドにしたところがよくわからぬ。どういう計算なんだろう。単純にx=(所望サイズ)/0.9ではいかんのか。
https://www.aij.or.jp/da1/zumenshasin/pdf/J6000648.pdf
「現存する明治洋風建築-近畿編-」(日本建築学会近畿支部建築史分科会 明治建築研究会)。1961年作成。これを見ると造幣局鍛工室(M18)に22.5×10.5×5.3cmの煉瓦が使われていたと記録されてる。鋳工室(M18)にも22.5×10.7×5.5、その前の倉庫に22.4~22.7×10.5×5.2~5.5。当時三菱の所有だったタングステン工場(造幣局曹達製造所)(M13)にも22.5×10.6×5.3。こいつらは並形なのだ。
しかし泉布観の煉瓦は23×12×6という。謎である。
日本建築学会図書館のデジタルアーカイブスは来年3月に有料化するらしいぞ。せちがれえよ。
否、逆に考えるんだ。並形サイズは過去に存在しなかった。鍛工室、曹達製造所あたりが後年の改築だったとすれば辻褄が合う。あくまで帳簿上の話だろ>着竣工年。