nagajisの日不定記。
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収穫はいろいろあったのだが、肝心なことが何一つ解決しなかったという困った結果になってしまった。知りたいと思うことがあることはいいことだと思うけれども、新しい方程式が一つ得られるごとに変数と未定係数もまた増えていくようで、いつまでたっても解ける気がしない。
市古なんちゃらの丸印は愛岐トンネルでも見つかっているそうなのだが、「三河国碧海郡北大濱町」というのは明治25年8月1日に新川町になっていて、M29から建設が始まった愛岐トンネル群でなぜ出てくるのかちう新たな問題が発生する。木曽川橋梁の改築はM25.2.なのでまだ間に合う。木曽川橋梁は井筒は生きていたが水面下数フィート以上は積み直してある。ただその積み直しの前から3インチ煉瓦が使われていたらしいことは揖斐川橋梁の偶数番橋脚と東側橋台の井筒が証言している。
三川のどこにも勢陽組印は見つからず。しかし「エー」「ビー」「シー」は確かに使われていて、それに□で囲った小さなカナ印が添えられていて、多度や諸戸家で見たのとは違う。同じ会社の異なる時代のものと見るべきなのか、そうでないのか。「エー」「ビー」「シー」は斜め井桁も使ってるしな。しかも「エー」と「シー」とで形状がほとんど変わらない。困ったことである。
せっかくいろいろ見つけても関西地方ではないのでbdbに載せられない。困ったことである。