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2022-11-22 瀬沢川暗渠 [長年日記]

[橋梁] 石アーチの鉄道暗渠

直江津線の煉瓦も追いかけてみようと思ったら石造アーチがやたらと出てきて、確かに石造アーチの暗渠が残ってる。すげえ。やっぱり先入観はよくないなぁ。

[きたく][橋梁][煉瓦] たまげた

画像の説明

ノーマークだった浅川暗渠。1@4ft。 画像の説明

拡幅部のみねじりまんぽで仕上げてあった。こういうパターンがあるとはな……!

それほどきつい斜交ではないのだが(むしろ直角に見えるんだが)わざわざ難しい技法を採用してあるところに職人の気合を感じる。接合部はあまりきれいでなかったがさほど傷んでいるようでなかったのも多分職人の腕によるものと思う。個人的には大発見だが、市街地だし目につく位置だしで誰か気づいているんだろうと思う。

寝過ごして昼から出かけたような中途半端な日だったけれども、発見はなかなかに多かった。諦めていた瀬田川橋梁でも右岸の洲に異形煉瓦が転がっているのを発見できたし。

転じていた煉瓦は笑ってしまうほど"B"ばかり。最初のほうで一個だけ"シ"="C"を見つけられただけで、残り10個くらいはみんな撥形。その"シ"が全形でなかったのが残念で、1時間ほど粘ってみたけれども、そもそも扇形異形からして見当たらなかった。溜まっているくさぐさをかき分ければもっと見つけられるかも知れないので、また隙を見つけて潮干狩りに行ってみることにしようと思う。

いまの下り線は昭和25年に複々線化された時の建造物。上り線は確か昭和40年代(46年だっけ)にPCで作り直されたもの。開業時の橋梁は地形図上では現上り線の位置に一致する。ということは初代の12ft井筒も複線化時のもまとめて取り壊されて瓦礫となり転じていることになる。故に”B"と”シ”の製造時期を絞り込むことができない。そもそも湖東組の”ビ”はどこへ行ったという話だ。 画像の説明

ややこしいことに、瀬田川左岸の大江二丁目の旧市街で”A”と”7丁”をみつけてしまった。湖東組の製品がここまで来ているのは確かなことだ。して”A”は”B”と対応する同工場のもの。そこに絡んでくる”シ”はどっちかの工場の製品なのか、それとも第三社のものなのだろうか。”7丁”は傷みが激しくて形状指示印は見つけられなかった。測るのを忘れていたが”C”相当のサイズ感。”シ”は欠けていたのでそこに甲乙か丙丁があったかも知れない。いや待てよ、Cは12ftと9ftで共通だから甲乙とも丙丁とも割り振り難い。。。てな感じでますます謎が深まるばかりの発見なのだった。

(”ビ”の採取型と比較すると大きさはよく一致する→”シ”)

ああそうか、近江八幡で”B”相当の”丁5”を検出していたんだった。別に丙丁=9ftと限ったことではない。限れば別に形状指示印を押す必要もなくなってしまう(んなことはないか、施工する側にはなんのこっちゃわからない)。やっぱ7丁も計測しておけばよかった・・・。

一番の目的である小口印については収穫なし。今回の暗渠はすべて左右にBCを添え継いであって、その関係でアーチの小口がうまく確認できない。限界の深さに動きを制限されたのも多かった。2、3日前の雨の影響もあっただろうか。


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