録"nagajisの日不定記。
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雨に濡れるとデジタルノギスが使い物にならなくなる故に紀和鉄道へ行けなかったため、奈良県下のやり残し仕事を片付けに行った。橋台の幅を測る必要があるやつをあらかた計測した。
天理軽便鉄道の開渠ははるか以前に見かけていたはずだが全然覚えていなかった。偶然通りかかってT頭期の煉瓦寸法としてsuitableなことに気づき急遽計測。しかしこの開渠がある畦道は近くの法隆寺国際高校の生徒の通学近道になっているようでなかなか恥ずかしい思いをした。結果はそこそこ精度良く東京形。堺煉瓦は東京形をつくっていたイメージがなかったが、そういや山中トンネルとか星越トンネルとかあったな。
朝4地時から夜10時までほぼ歩きっぱなし。初手で長靴を水没させてしまい腐った足の裏のままで歩き通したものだからなかなか大変なことになっていた。あと柔いゴム底で歩いたので右足が死んでいる。とはいえ以前よりは遥かに歩けるようになっていてうれしい。
そうそう、開渠の上流は関西本線を潜っているが南側には陶管×2が顔を覗かせていた。径1尺の比較的大きな陶管。よく保っているものだと感心する。しかし隣の阿波里開渠は南側=下り線方に拡幅した形跡があり、この陶管もその頃のものかも知れない。
木津の上戸川橋梁に着いた頃には真っ暗に。全景が入る距離離れるとフラッシュが効かなくて全く困った。長時間露光+ライトでなんとかクリアしたが、さて帰ろうという時になって片町線の橋台もオカシイことに気づいてしまい、そちらは断念した。〝小口挟み〟というよりも姑息で場当たり的な工作であって、下手の見本みたいなものだから撮らなくてもいいやと思ったのもある。細かく分析したところでそこから得られるものは少ないはず。
計測結果をまとめるのに苦労したが、要するに鉄道当局の意図と工作者のやり方と採用した煉瓦寸法の三者が互いに齟齬していて、そのうえでモノを作るために相当苦労をしたように見える。経験を積んでパターンが確立するのは明治30年代も末になってからではないか。少なくともM30前後はまったくカオスである。あと南和も奈良も鉄道局定規を完全には踏襲していない。奈良は径間10ft以下でもぜんぶ12ft幅で作っているし南和は逆に10ftを押し通している。第14号開渠ではそれで失敗し、作りにくい煉瓦では多少幅を広げるといったような微調整をしつつ〝小口挟み〟している。その一方で七五と小口でうまいこと10ftにまとめたパターンもある。
藪はいまが最大値。7月頃のほうが薄かった。やはり夏越しの藪は鬼門。紀和もちょっと考えないといけない。無理な探訪を諦めて安牌だけにするとまた次の訪問がいつになるやらだよな…どうしようか。