録"nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
M13幌内鉄道人夫参加
M16、7 手宮の埋立工事
M17 碓氷峠入山線路測量む、日本鉄道宇都宮白河間
https://dl.ndl.go.jp/pid/2518150/1/91?keyword=%E6%B2%A2%E4%BA%95
M20.3~ 静岡 東海道線工事 静岡駅地築工事(M21.8~)、静岡掛川間安倍川橋梁(M20.3~)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2518150/1/58?keyword=%E6%B2%A2%E4%BA%95
M21.9~ 大阪へ 大阪鉄道平野柏原間(M21.9~22.5)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2518150/1/73?keyword=%E6%B2%A2%E4%BA%95
M23.5~M25.8 北海道炭礦鉄道会社室蘭線 砂川停車場付近、追分~遠浅間、輪西の切取工事、白老付近の仮橋梁工事、苫小牧駅地築工事など(M23.5 岩見沢~歌志内、砂川~空知太 M23.10.室蘭~岩見沢、追分~夕張 早川智寛(早川組)、沢井、杉井組、鹿島組、盛陽組、阿部組)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2518150/1/87?keyword=%E6%B2%A2%E4%BA%95
M24.6~(M25.11) 夕張線夕張炭山付近、炭山内
https://dl.ndl.go.jp/pid/2518150/1/89?keyword=%E6%B2%A2%E4%BA%95
M26.1~M26.3 手宮桟橋
https://dl.ndl.go.jp/pid/2518150/1/87?keyword=%E6%B2%A2%E4%BA%95
M26~M27.12 北陸線葉原トンネル(有馬組代人として、工区は鹿島組)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2518150/1/121?keyword=%E6%B2%A2%E4%BA%95
M28.9~M29.10 南和鉄道 主として沢井市造、熊田亀次郎
https://dl.ndl.go.jp/pid/2518150/1/78?keyword=%E5%8D%97%E5%92%8C%E9%89%84%E9%81%93
M28.12~M31.12 関西鉄道奈良延伸線(杉井組、鹿島組、沢井、関屋友吉、三重土木会社、遠藤君蔵、熊田亀次郎、中村国次、木村某)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2518150/1/77?keyword=%E6%B2%A2%E4%BA%95
M29.6~M31.4 河南鉄道柏原富田林間(池西 池田勇造とともに 富田林長野間は池西)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2518150/1/138?keyword=%E6%B2%A2%E4%BA%95
M30.10~M31.8 関西鉄道片町~四條畷間
https://dl.ndl.go.jp/pid/2518150/1/77?keyword=%E6%B2%A2%E4%BA%95
M30.4~M32.7 阪鶴鉄道
https://dl.ndl.go.jp/pid/2518150/1/175?keyword=%E6%B2%A2%E4%BA%95
M28.10~M31.3 基隆~台北間改良工事 竹仔嶺隧道有馬組配下として
M32.5~41.4.20 台湾縦貫鉄道(官営計画) →有馬組壊滅、沢井組再興 新店渓橋梁M33.1~34.2 淡水支線第三工区江頭~淡水M33.6~34.8 北部新線M33.4~M35.8 竹南~苗栗M35.4~ 頭ィ分渓橋梁M35.6~M36.3 三又~豊原間M36.1~M37.5 第八隧道M29.6~M40.11(三又~後里)沢井組小松海蔵が代表
https://dl.ndl.go.jp/pid/2518150/1/179?keyword=%E6%B2%A2%E4%BA%95
M36.5~M37.11 舞鶴線 隧道、困難
https://dl.ndl.go.jp/pid/2518150/1/218?keyword=%E6%B2%A2%E4%BA%95
M40.3~T1.10 網走線第12工区)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2518150/1/274?keyword=%E6%B2%A2%E4%BA%95
M45.3~T5.11 湧別線第三、第五、第六
https://dl.ndl.go.jp/pid/2518150/1/274?keyword=%E6%B2%A2%E4%BA%95
M44.2~T2.11 根室本線(下富良野線滝川~富良野間)上四工区の第三工区 これが北海道での最後
https://dl.ndl.go.jp/pid/2526729/1/17?keyword=%E6%B2%A2%E4%BA%95
何台目だ。
指が痛い。目が霞む。右目ばかり目ヤニが出る。腹が張っている。右足のタコが痛い。頭が働かない。推敲が遂行できない。in→outの間に妙なf(x)。そういう愚痴を垂れ流したところで誰も喜ばないしそもそも自分の得にもならぬ。ぶつぶつ言っている暇があったら一台でも多く煉瓦測っとけ。
沢井絡みで舞鶴線の煉瓦構造物をピックアップしてみたが福知山始点だったのを忘れてて困惑した。工区も請負もはっきりわかっているのは案外少ないので調べたら面白いかも知れない。ただし煉瓦は軒並み東京形のようで寸法に関しては新知見は得られないだろう。稲葉弥吉が担当した工区と沢井の工区とで作法が違うかどうか。第一工区は袖石垣を煉瓦で積む傾向はあるようだけれども園部綾部間でそれを見た記憶がない。官設だと煉瓦も供給だろうしな、と思ったら園部~綾部間は請負者の開設した工場があったっけか。
直轄か請負か(官設新橋横浜間vs大阪神戸間・京都大阪間)。請負の場合は労力供給に留まるか全請負か(煉瓦供給か自前か)(紀和鉄道の紀ノ川橋梁、京都鉄道嵯峨~園部間vs台湾縦貫鉄道とか)。会社側が規格を指定しているか否か。そのへんが一貫していず工事によって千差万別だから出力がバラバラなんだ。そうして「そのへん」を特定できないことが多いから混乱に拍車がかかる。煉瓦から逆算しようとしてもその推測を証明する手立てがない。無駄なことをやっているとつくづく法師。
歳をとったせいか汗のかき方が変わったような気がする。若い頃はバンダナから垂れる汗が眼鏡にかかって鬱陶しく、あるいは額からの汗が目に入って瞬かせながらでないと歩けないほどだったから頭で相当に汗をかいているのだと認識していたのだけれども、最近は顔中あらゆる箇所で汗が吹き出すような感じがする。その汗の量が尋常でなく、目にも入れば鼻にも口にも入りそうになってフウフウぶうぶういいながら歩いている。眼鏡を上げてタオルで拭いてもきりがなく、かといってデコをふいたところで追いつかず、腹の底から嫌になる。コロコロバッグを曳いている時のように手がふさがっていると汗を拭うこともできずフウフウぶうぶうをひたすら繰り返すばかり。こんなだから道行きの風光も記憶に残らない。自分の汗で溺れ死ぬんじゃないかという微塵の空想を無限に繰り返して歩くばかり。
汗みずくになってべっとり張り付くシャツ。化繊かどうかなんて意味をなさない。腕を捲ってみても53.5ミリが52.0ミリになった程度の違いしかない。パンツは当然中までビショビショのBVD状態。これが風で気化してくれれば多少は涼しく感じられるのかも知れないが昨今の夏は微風すらも吹かずそよりともしない。吹いたところで湿度の高い高温の風。エアコンの室外機を背負って歩いているような気になる。こんな暑い中を歩くのが馬鹿なのか。こんな暑さを常態にしてしまった人間活動が馬鹿なのか。いずれにしてもクソである。
大阪鉄道踏切井路開渠と秋津川橋梁の間にあるのを見つけた。垂直の煉瓦壁に薄い石梁を渡した上に土を盛って築堤にしてある。こういう構造物を開渠といってよいのだろうか。上がふさがっているから暗渠と呼ぶべきであるような気もするし、しかし暗渠と言ってしまうと煉瓦アーチを連想できない。煉瓦アーチ=暗渠、それ以外=開渠という分類で慣れているのは間違いなのかも知れない。そうしてなかなかよい精度で 7.4 x 3.5 x 1.75 寸の大高並形(大阪鉄道の構造物に使われている煉瓦は大高並形に類似するものが多いがぴったり一致するのは少ない)。しかしヤーポンでは 8-3/4 x 4-1/4 x 2-1/8 in になり、1/4 in 目地を見込んだモジュラー煉瓦と見れなくもない。目地込み厚 2-3/8 in はよい精度で 2 寸 になるから積み見当はつけやすい。鉄道局が作っていた橋台が基本ヤーポンで設計+ 9 x 4-1/2 x 2-1/4 in の煉瓦を使う前提だったので、それを作りやすくするためにモジュラー化したうえで目地込み厚 2 寸 で積めるようにしたのが並形、それを勝手に 7.4 x 3.5 x 1.75 寸と読んだのが大高庄右衛門(あるいは六大窯業会社のどこか、おそらくは堺煉瓦)、だと思っている。意味的には広島軍用水道規格 7.3 x 3.55 x 1.8 寸 と同じものだと思っている。それを寸法規格として数値を明示する場合に 7.4 x 3.5 x 1.75 寸 とするか 7.3 x 3.55 x 1.8 寸 とするかの違い。

そうしてこの開渠(暗渠)、中央格段に七五を入れて調整しているーーーあとで阿波里に再撮に行こうかとも思っていたのでここで得られて助かったーーー。わずかに斜交しているうえ築堤の高さとの兼ね合いもあるからきれいには作れなかったのだろうかと思ったりしたが、北方の八条川橋梁では直交なのに小口挟みでやっていたから結局は作者の癖なのだろう。そうしてその七五の位置が完全な中心ではない。メジャーで尺取り虫しながら測った雑な計測だが、郡山方橋台は向かって左から413/435cmの位置に七五の中心がある(長手段で測ったから真の中心はもっと左寄りにある)。他で見た小口挟みもどれもそうだった。挟んだ小口を線路中心に合わせ、そこから左右に積んでいったのではなく、両脇から積み始めて中央で合するような積み方をしたに違いない。そうして最後の一個が長手にならなくなって小口や七五で調整したと。南和鉄道の第14号開渠を見るとそれがさらに明確にわかる。長手段には七五っぽい中途半端なの、小口段にも幅3寸くらいのヨーカンよりさらに薄いのを入れている。長 9 in で積むことを前提にした設計にモジュラー煉瓦を使ってもなおキッチリ合わないのは何故か。
掃いて捨てるほどある煉瓦橋台も、何でもない開渠でも、それぞれに個性があり見どころがあることをようやく知った。早く気づいていれば橋台正面写真も撮っていたのにと後悔している。ばかだねえ。