nagajisの日不定記。
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寒稽古に参加せず。第Iなりたり。惟うに第一が最も良しと。午後は教練一時間の後に雄叫台に於て消火の為の駅を火になげつけ、消す実験あり。依って、こゝに予は火は最初の五分間にあらざれば、此の液に於ては消火困難なる事を通節〔痛切〕に感ず。夜に生徒監殿より御注意を受く、それは、「予一月八日生徒監殿宅に於て昼食の際に茶碗の予のと児玉のと代りをるを見、此れを直ちに代えたる事は礼にもはずれ、又小さな事に気をとめすぎる」ということなりき。予此の際生徒監室にて涙流す〔「涙流す」に朱線、欄外朱書き「軽き気持にて注意を受けよ」〕。
扨て明日のため今夜は今より眠らん。安らかに。
〔nagajis:欄外朱書き一文字目心許無し〕
春の如き日なりき。今日の柔道は今まで最も奮闘の価値大なりき。柔道は全身的運動にて誠に其の効果大なり。齊藤教官殿昨日・今日休まれ、今日は国漢乙ありたり。午後は教練。練習不足にて照準悪しくなりぬ。一般に射撃動作向上の余地あり。天候も極良好にて気分爽快にして一動作愉快なり。然し、一日の課業終えたれば何となく憂鬱なり。風気味なり。あと一日頑張れ。
4ページもの、なにげに着手してみたら本文八割消化した・・・。ざっとなぞり過ぎなのかも知れぬ。物件的には有名だし、いいかな。
これは写真をお借りする旅に出たほうがいいかも知れない・・・。
私の・・・私の知らない所で・・・
私の預かり知らぬ世界で・・・
何か・・・巨きな力が・・・
働いている・・・
?を314個ほど飛ばしながら開封した。これでガムテの商品を購えということでしょうか・・・>My God
(rectangleなのは特に意味なし)
おふたり様ごあんなーい。みんなもかくのだー。
無理に歩かないほうがいいのはわかってるけど歩けることを確かめたいのさ今は。温パックがとても心地いい。
解説頁?の持って行き方がよくわからないな・・・。どういう方向性だと喜ばれるのだろう。少なくともnagajisの好みじゃないほうがいいというのはわかるんだけど、かといってどういうネタがと言われると困る。既定路線は使えそうな写真あるだろうか不安だしな。
確固とした主義主張があって、それを踏み台もしくは舞台にしてふしぎなおどりを踊らないといけない、とつねづね思っているが、それが余計なのだよなー。素踊りでいいじゃん、売るためには。
考えたこともないようなネタを考えることは難しい。何かのヒントになるかと思って普段見に行くこともない2chまとめサイトとか見てみるがゲラゲラ笑うだけで実にならなかった。そういうゲラゲラ笑えるものにしたらいいかっていうとそうでもないだろうし。いや一時のウケはいいかも知らんよ。でもなー。
ぐるぐる考える。廃道≠意味のないものじゃないよーを叫ぶところから始めるのか。それを前提として進めるのか。廃道趣味が普く世の中に広まったわけじゃないしということで前者に重きを置くと煙たがられる。世の中の流れは後者だ。趣味は細分化して深く鋭くなっていくから尖るほど受けがいい。そうしないとう連打ー。でも基本的には前号そういう感じだったように思う。自分が余計なことをしただけだ。
一過性の盛り上がりで終わるのはいやだ。偏奇な趣味だと思われるのは癪だ。動的かつ知的な探求であるところの廃道探索。して恥ずかしくないものにしたいのう。
ありとあらゆるものを放置の助で過ごしてきたのでせっかく片付けた部屋が台無しだ.きょうは片付けと洗濯をする.そして府公文書館でコピってもらってきたやつとか大大阪橋梁撰集コピーとか読みたい.青垣町史とか福知山資料とか読みたい.間違っても順番を逆にしてはいけない.ちなみに府の公文書室には吉田初三郎の大阪鳥瞰図が飾ってある.ほんものである.
なんとなく「屈託の無い薮蛇」というフレーズを思いついてみたりしている.どこかで使う機会はないだろうか.
いちばんこわいところからの返事がポストにはいってた・・・そういえば使用申請送るのを忘れている.その催促に違いないそうに違いないぞちょっと待ってくれよと思ってまだ開けれてない.
書いてばかり居るとだんだん厚顔無恥になっていくのがわかる.よくもまあそんなことをいけしゃあしゃあと書けたものだと自分でも思わないでもない.しかし段々そういう主張が時に必要でそれくらいしなきゃ不味いンじゃないかと思ったりもして,ええいままよとやってみることを繰り返しているうちに面の皮の厚さおよび装う無知が厚くなっていくのは必定の事で,半分以上諦めている.右顧左眄して当たり障りのないレベルに圧し潰した主張をしたところで何にかやなる.ならば玉砕覚悟でぶちまけてみて嫌われるなり貶されるなりしたほうが若干は存在意義があろうというものではないか.少なくともそう書きたいという思いに虚偽も誇張もないのである.えっへん.とかいってあとで校正させられんだぜ,きっとー.
というガス抜きをしておくとあとあと楽である.そのためのこの部録である.
顔の本の住所を
大阪府磨針区真張田山原楊谷8
で登録しようとしたらnegられた.せっかく苦労して考えたのに.
次点案.
大阪府技馬区麻耶コンプレッソルビル201号
もうどうにでもなーれー.
「市」がないせいかと思ったがそうでもないらしい.
準備のために「安治川隧道友の会」を作ろうと思ったがトモダチを誘わないといけないらしい.酷い.酷過ぎる.この世はかくもおしなべて生き抜き難い.
バラ資料を放り込んでいた棚から滋賀県立公文書館の申請書類が出てきた.これでずいぶん楽できるジョー.
読み直してみたら案外情報がなかってガッカリした.おかしいなあ,もうちょっと何か書いてあった気がするんだけど.むしろ豊富村の資料にある関連書籍を当たったほうがよいのかも知れぬ.福知山の図書館のほうがいいだろう.
いえす.『我が郷土』『丹波の古道』『上豊富六十年史』『丹波志』いずれもある.福知山市民会館.
恐らく古老のコメントが間違っている.穴の裏峠ではなくて蓮根峠のはず.M26/30測図M45鉄道補入には書いてある.
京都府立の写真見ておくこと.せっかく一冊500えんも取られて撮ったんだから活用せんとくん.
梨木峠なんて懐かしいのう.行ったことすら覚えていない.
肝心の部屋掃除のほうはちゃんとやった(つもりでいる).洗濯終了.流し周辺は晩飯の時に片付ける.いまは蓮根峠の資料が散らかっている.元の木阿弥な気がしないでもない.
落ちた落ちたよ全部消えた。ちぇっ、ちぇっ、ちぇーーーーっ! と何度舌打ちしたって帰っては来ないのである。ここに愚痴を書いても戻ってきやしないのである。
西の谷橋I=17.6m、泰原橋I=15m、太古良橋I=15.6mの重要性。蟻通橋I=13.3mの三連も結構いい線行ってること。
以前JR三石駅長さんが三石高級耐火工業(株)(現(株)三石ハイセラム)のだと教えてくれたもの.写真は山陽道沿いの駐車場の脇で見つけた耐火煉瓦.ちょっと欠けているらしく長手が短め.
以前書いてたように旧大阪府庁跡から見つかったやつには「三石高級」「耐火度試験」と書かれていた.三石高級耐火煉瓦(株)は昭和2年4月創業,昭和10年の工場通覧まで掲載されている.戦後のには出てこない.同じ番地も創業年同なのもない.昭和10年以降移転&再創業した可能性が高い.
S10工場通覧では和気郡三石町字三石345に所在となっている.現在345番地はないらしく,かわりに344が見つかって,それは現・後藤テックの事務所だ.その隣の広い駐車場のあたりにあったんだろう.三石ハイセラムは旧三石町のはずれの山の中にある.
耐火煉瓦にしては妙に赤いが,通称「アカ」と呼ばれた耐火度の低い土を使ったものなんじゃないかと思う.耐火物に最適なのは白いろう石だが,その鉱床の周囲にあらわれる粘土質の鉱物があって,それが「アカ」.垢ではない.
http://tabihatsu.jp/program/98173.html
探索の目は多ければ多いほどよし。1/27前後集中探索会やってます。宿泊代が出ます。ぜひご参加ください。
住吉に出かけて帰ってきて、PC立ち上げて数分使っていたらフリーズした挙句「ぴーーーーーーーーー」とか言い出して。再起動したら800×400の4ビットカラーにしかならん。どうやらグラボがだめになった模様。聳え立つ巨大なうんこである。
年始から出費続きでひいひい言っている最中だというのにまた何か買わなんかと思うと気が滅入る。オンボード出力で使えないことはないけれどもあの快適さが失われたのは残念で、たぶん我慢は続かないと思う。ゲームなんかしないからPCIeのグラボでありさえすればいいと思うのだが何を買うべきかの見当もつかぬ。
出先で採取した播煉。機械成形。平に播煉マークと「35 4」の文字がある。数字は恐らく昭和35年4月の意。
似たものを播煉岸工場近くの民家の庭で見たことがある。今日もそれを思い出して「同じもの発見!」と喜んだのだが、よくよく見れば岸民家の煉瓦は「35 〔播煉マーク〕 〔モルタルで不明〕」なのだった。
サイズはおおよそJIS規格に沿っているがとても歪んでいる。長手が軽く弓なりになってしまっている。この歪みは「赤煉瓦産地診断報告書」にあった機械成形煉瓦の不良そのまんま。押出口の摩擦が強すぎるのか、押出の時の歪が焼くことで顕在化するのか、機械成形は中高なゆがみ方をすることが多かったらしい@印南郡の煉瓦工場はどこも。なので見た目のきれいな手成形煉瓦のほうが消費者には好まれていた。
「赤煉瓦産地診断報告書」はS35頃発行。そうしてバンレンはS35.5.28にJIS認定工場になっている( 許可番号7469:by「JIS工場通覧」 )。上記数字が読みどおりであればJIS工場になるべく四苦八苦していた頃の製品であることになる。
今日の品は裏表に打刻してあってそれが打刻のタイミングが知れる興味深いものなのだが眠くて書けない
JR山手駅を見てきた。いや、それが目的じゃなかったんだけどさ。
むしろこっちの石垣の残骸のほうが。読み通りだった、といっていいんじゃないだろーか。モノは見つからなかったけど。次は反対側。
ふと見上げた交差点名看板。Nishinoshochoみたいな色抜けをしていた。oとcの素材だけが劣化しやすかったのだろうかと思ったが、だったら最後のoとか庄のoとかも退色していていいはずである。もしかしたらoとcは同じoから生まれた兄弟(oの右側を切ってcにした)なのかも知れない。そんなことを1sec内外に思った。
そもそもこの文字はシール式なのか。一枚のシートをカットするだけじゃないか。とはその数分後に思った。
ついこの間、ふいに、
一人でも忍者
という言葉が流行っていたことを思い出した。中学生か高校生の頃のことである。
誰が言い出したのかははっきり思い出せないが、こういうことを言い出すのはN氏と決まっている。この一言が書かれた葉書を受け取ったことがあるようにも記憶する。
三十数年の時を経てこんなつまらぬ口合に解説を加えるのも愚かだが、敢えてその愚を極めてみれば、要するに
一人でも仙人
のバリアントである。一人なのに1000人という多さがウリとなっている元ネタに対し、たった2人という数の少なさ、かつ正確には2人でもなく結局は1人であるという無意味さ(頭の「に」しか合致しない)、に底知れぬアレを感じたものである。
この「一人でも忍者」というワードこそ、奇妙なポテンシャルの初観測であったかも知れない。常識から導き出される「仙人」を躱して「二人」を連想させる「忍者」を継ぐ辺り(というよりも「忍者」に「二人」の影を見てしまう辺り---考えてみれば忍者なんだから分身の術とかで2人になっても良さそうなものである---)はまさしく取り扱いに困るポテンシャルを宿している。呟いてみたところで何も起こらないし理解も深まらないことはわかっていても呟いてみてしまいたくなるポテンシャルを秘めている。事実今までの人生で何度この言葉を呟いたことかわからぬ。そうしてその都度忍者とニンニンとニンジンが未分化な思考の底で交錯したのである。
そんな奇妙なポテンシャルをここ20年近く忘れていた。よく思い出したものだ、偉いものだと思う。その記念に一人でも忍者。
早めに寝て暑くて起きたAM2:00頃までに見た夢と、寝直して見た夢の2本立て。
第一部は高校の卒業試験のようなものを受けている夢。1つ目の科目は作文。教室の居並ぶ机の一つに着席して、パソコンで何やら書いている。書いた内容のてにをははもちろんテーマさえも覚えていないが、いまこの歳にものを書くのと全く同じ感覚で、単語とか断片的な文とかしか出て来ず同じところを堂々巡りするような呻吟をしたのは確かである。その呻吟を実際に書いている時と寸分変わらない時間感覚およびまどろっこしさで書いていたように思い出されるのが不思議である。そして終了時間が近づき、「ええいままよ」という感じでモードが切り替わり(いわゆるゾーンに入った状態)、感覚的感情的なトゲをトゲのまんまで書き散らすような文章にまとめ上げることに成功した。たぶん『み~な』に書いたのがいちばん近いと思う。半ばヤケクソで何とか間に合わせたというようなものだが、その一方で「やった、これで勝つる」という思いもある。
試験はもう一科目あるのだが、それが始まる前に途中経過発表があった。うれしいことに最高得点らしかった。ほっとすると同時にああいうふうに書けたらそりゃそうなるだろうという思いもあった。自信過剰や自惚れでそう思うのではなく神懸ったテンションで書いたんだからそうなって当然だ(=自分の書いたものではない、二度と書けない類のもので、自分の血肉から出たものではないような感じがして、そこはうれしく感じられなかった。
第二科目は、なんといったらいいのか、アートな作品を何か作ることらしかった。これもすんなりとは思い浮かばず、これもまた半ばヤケクソに自分のコーディネート?自分を飾り立てて何か作る?みたいなことをやった。三編みおさげのカツラを被ってセーラー服を着て女装のようなことをしてみたり(自分自身が着たのではなかったな、自分に見立てたマネキンのようなものにあれこれやってゲージツ的なコーディネート?を作ったのだ)。シラフのいま考えると何でそれがアートなんだと思わずにいられないが、やっている本人は結構ノリノリになってきて(nagajisが女装なんて天地がひっくり返ってもあり得ないからな、そういう前代未聞なものを作ってみるところに些少の面白さを覚えたのだ)、しかもギャラリーの評価も上々だった。けれども調子に乗って進めていくうち、だんだん意味不明なものになっていって、何をしてもキマらなくなってくる。焦り始める自分。というところで前後不覚になる。
そんなこんなで試験は終了した。最終結果の発表の前、クラスメートと談笑している場面。ふと「これが終わったらもう勉強しなくていいってことだよな?」というような言葉が口を突いて出る。客観的な説明としては試験が終わった後の開放感が言葉になったということになるかも知れないが、感じていた感情は寂しさのほうが勝っていて、もう勉強することができないのか、というのが近い気がする。この歳になった今では生涯学び続けなきゃと(なんの衒いもなく、人間真理のひとつのように)思っていて、新たなことを知れた時には心から嬉しくなり、それに生きている意味を見出したりしているのだけれども、高校時代にそんなことを思ったことはない。
そうして試験結果が明らかになる前に目が覚めた。何かを書いて褒められたという記憶が心地よくて(悲しいやつだなあ)浮かれた気分で目覚めたように思う。だから夢の内容を反芻して、それで内容を覚えているわけである。
第二部は打って変わって自分の矮小さを見せつけられ、下層の人間たることを思い知らされるような夢だった。内容は忘れてしまったが、例えば仕事上のミスがバレないように取り繕って隠しているような、自惚れてやった行為が裏目に出て天狗の鼻を折られるような夢だったと思う。そうしてそんな嫌な気分で目が覚めた。第一部との落差の大きさ、全く正反対の思いをさせられる夢を連続で見たことが不思議で不思議で、そのことばかり考えたせいで内容を忘れたようである。現実の記憶もこれくらいコロッと忘れらたらいいのにと思う。
書いたものを褒められていい気になる、というのは罪の薄い自惚れで良いっちゃあ良いのだけれども、現実にないことを夢で補完しているようでもあり、そう考えると哀れでさもしい人生だなとも思う。そのへんは脇に置いておくとして、夢の中でものを書き、書き上げるというのは初めてのことのように思う。書いている間の呻吟の具合いとか(書いたり消したり前後を入れ替えたりするばかりでちっとも進まなかったりとか)、かかった時間のリアルな感覚とかは現実の通りであって、夢の中とは思えないようだった。
やっぱり、なにか特定の煉瓦刻印を求めて歩き回っても見つからない。なんも考えずにひたすら歩き回るのがよい。
図を描いて画像検索してやっと抱き沢瀉という家紋だとわかった。真ん中に漢数字”十六”の添字がある。ないやつも結構ある。
_ 渡辺 [修正確認しますた。]
_ nagajis [間違えて-1180円引いてしまいスミマセン・・・]