nagajisの日不定記。
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4ページもの、なにげに着手してみたら本文八割消化した・・・。ざっとなぞり過ぎなのかも知れぬ。物件的には有名だし、いいかな。
これは写真をお借りする旅に出たほうがいいかも知れない・・・。
私の・・・私の知らない所で・・・
私の預かり知らぬ世界で・・・
何か・・・巨きな力が・・・
働いている・・・
?を314個ほど飛ばしながら開封した。これでガムテの商品を購えということでしょうか・・・>My God
(rectangleなのは特に意味なし)
おふたり様ごあんなーい。みんなもかくのだー。
無理に歩かないほうがいいのはわかってるけど歩けることを確かめたいのさ今は。温パックがとても心地いい。
解説頁?の持って行き方がよくわからないな・・・。どういう方向性だと喜ばれるのだろう。少なくともnagajisの好みじゃないほうがいいというのはわかるんだけど、かといってどういうネタがと言われると困る。既定路線は使えそうな写真あるだろうか不安だしな。
確固とした主義主張があって、それを踏み台もしくは舞台にしてふしぎなおどりを踊らないといけない、とつねづね思っているが、それが余計なのだよなー。素踊りでいいじゃん、売るためには。
考えたこともないようなネタを考えることは難しい。何かのヒントになるかと思って普段見に行くこともない2chまとめサイトとか見てみるがゲラゲラ笑うだけで実にならなかった。そういうゲラゲラ笑えるものにしたらいいかっていうとそうでもないだろうし。いや一時のウケはいいかも知らんよ。でもなー。
ぐるぐる考える。廃道≠意味のないものじゃないよーを叫ぶところから始めるのか。それを前提として進めるのか。廃道趣味が普く世の中に広まったわけじゃないしということで前者に重きを置くと煙たがられる。世の中の流れは後者だ。趣味は細分化して深く鋭くなっていくから尖るほど受けがいい。そうしないとう連打ー。でも基本的には前号そういう感じだったように思う。自分が余計なことをしただけだ。
一過性の盛り上がりで終わるのはいやだ。偏奇な趣味だと思われるのは癪だ。動的かつ知的な探求であるところの廃道探索。して恥ずかしくないものにしたいのう。
ありとあらゆるものを放置の助で過ごしてきたのでせっかく片付けた部屋が台無しだ.きょうは片付けと洗濯をする.そして府公文書館でコピってもらってきたやつとか大大阪橋梁撰集コピーとか読みたい.青垣町史とか福知山資料とか読みたい.間違っても順番を逆にしてはいけない.ちなみに府の公文書室には吉田初三郎の大阪鳥瞰図が飾ってある.ほんものである.
なんとなく「屈託の無い薮蛇」というフレーズを思いついてみたりしている.どこかで使う機会はないだろうか.
いちばんこわいところからの返事がポストにはいってた・・・そういえば使用申請送るのを忘れている.その催促に違いないそうに違いないぞちょっと待ってくれよと思ってまだ開けれてない.
書いてばかり居るとだんだん厚顔無恥になっていくのがわかる.よくもまあそんなことをいけしゃあしゃあと書けたものだと自分でも思わないでもない.しかし段々そういう主張が時に必要でそれくらいしなきゃ不味いンじゃないかと思ったりもして,ええいままよとやってみることを繰り返しているうちに面の皮の厚さおよび装う無知が厚くなっていくのは必定の事で,半分以上諦めている.右顧左眄して当たり障りのないレベルに圧し潰した主張をしたところで何にかやなる.ならば玉砕覚悟でぶちまけてみて嫌われるなり貶されるなりしたほうが若干は存在意義があろうというものではないか.少なくともそう書きたいという思いに虚偽も誇張もないのである.えっへん.とかいってあとで校正させられんだぜ,きっとー.
というガス抜きをしておくとあとあと楽である.そのためのこの部録である.
顔の本の住所を
大阪府磨針区真張田山原楊谷8
で登録しようとしたらnegられた.せっかく苦労して考えたのに.
次点案.
大阪府技馬区麻耶コンプレッソルビル201号
もうどうにでもなーれー.
「市」がないせいかと思ったがそうでもないらしい.
準備のために「安治川隧道友の会」を作ろうと思ったがトモダチを誘わないといけないらしい.酷い.酷過ぎる.この世はかくもおしなべて生き抜き難い.
バラ資料を放り込んでいた棚から滋賀県立公文書館の申請書類が出てきた.これでずいぶん楽できるジョー.
読み直してみたら案外情報がなかってガッカリした.おかしいなあ,もうちょっと何か書いてあった気がするんだけど.むしろ豊富村の資料にある関連書籍を当たったほうがよいのかも知れぬ.福知山の図書館のほうがいいだろう.
いえす.『我が郷土』『丹波の古道』『上豊富六十年史』『丹波志』いずれもある.福知山市民会館.
恐らく古老のコメントが間違っている.穴の裏峠ではなくて蓮根峠のはず.M26/30測図M45鉄道補入には書いてある.
京都府立の写真見ておくこと.せっかく一冊500えんも取られて撮ったんだから活用せんとくん.
梨木峠なんて懐かしいのう.行ったことすら覚えていない.
肝心の部屋掃除のほうはちゃんとやった(つもりでいる).洗濯終了.流し周辺は晩飯の時に片付ける.いまは蓮根峠の資料が散らかっている.元の木阿弥な気がしないでもない.
落ちた落ちたよ全部消えた。ちぇっ、ちぇっ、ちぇーーーーっ! と何度舌打ちしたって帰っては来ないのである。ここに愚痴を書いても戻ってきやしないのである。
西の谷橋I=17.6m、泰原橋I=15m、太古良橋I=15.6mの重要性。蟻通橋I=13.3mの三連も結構いい線行ってること。
以前JR三石駅長さんが三石高級耐火工業(株)(現(株)三石ハイセラム)のだと教えてくれたもの.写真は山陽道沿いの駐車場の脇で見つけた耐火煉瓦.ちょっと欠けているらしく長手が短め.
以前書いてたように旧大阪府庁跡から見つかったやつには「三石高級」「耐火度試験」と書かれていた.三石高級耐火煉瓦(株)は昭和2年4月創業,昭和10年の工場通覧まで掲載されている.戦後のには出てこない.同じ番地も創業年同なのもない.昭和10年以降移転&再創業した可能性が高い.
S10工場通覧では和気郡三石町字三石345に所在となっている.現在345番地はないらしく,かわりに344が見つかって,それは現・後藤テックの事務所だ.その隣の広い駐車場のあたりにあったんだろう.三石ハイセラムは旧三石町のはずれの山の中にある.
耐火煉瓦にしては妙に赤いが,通称「アカ」と呼ばれた耐火度の低い土を使ったものなんじゃないかと思う.耐火物に最適なのは白いろう石だが,その鉱床の周囲にあらわれる粘土質の鉱物があって,それが「アカ」.垢ではない.
http://tabihatsu.jp/program/98173.html
探索の目は多ければ多いほどよし。1/27前後集中探索会やってます。宿泊代が出ます。ぜひご参加ください。
住吉に出かけて帰ってきて、PC立ち上げて数分使っていたらフリーズした挙句「ぴーーーーーーーーー」とか言い出して。再起動したら800×400の4ビットカラーにしかならん。どうやらグラボがだめになった模様。聳え立つ巨大なうんこである。
年始から出費続きでひいひい言っている最中だというのにまた何か買わなんかと思うと気が滅入る。オンボード出力で使えないことはないけれどもあの快適さが失われたのは残念で、たぶん我慢は続かないと思う。ゲームなんかしないからPCIeのグラボでありさえすればいいと思うのだが何を買うべきかの見当もつかぬ。
出先で採取した播煉。機械成形。平に播煉マークと「35 4」の文字がある。数字は恐らく昭和35年4月の意。
似たものを播煉岸工場近くの民家の庭で見たことがある。今日もそれを思い出して「同じもの発見!」と喜んだのだが、よくよく見れば岸民家の煉瓦は「35 〔播煉マーク〕 〔モルタルで不明〕」なのだった。
サイズはおおよそJIS規格に沿っているがとても歪んでいる。長手が軽く弓なりになってしまっている。この歪みは「赤煉瓦産地診断報告書」にあった機械成形煉瓦の不良そのまんま。押出口の摩擦が強すぎるのか、押出の時の歪が焼くことで顕在化するのか、機械成形は中高なゆがみ方をすることが多かったらしい@印南郡の煉瓦工場はどこも。なので見た目のきれいな手成形煉瓦のほうが消費者には好まれていた。
「赤煉瓦産地診断報告書」はS35頃発行。そうしてバンレンはS35.5.28にJIS認定工場になっている( 許可番号7469:by「JIS工場通覧」 )。上記数字が読みどおりであればJIS工場になるべく四苦八苦していた頃の製品であることになる。
今日の品は裏表に打刻してあってそれが打刻のタイミングが知れる興味深いものなのだが眠くて書けない
JR山手駅を見てきた。いや、それが目的じゃなかったんだけどさ。
むしろこっちの石垣の残骸のほうが。読み通りだった、といっていいんじゃないだろーか。モノは見つからなかったけど。次は反対側。
ふと見上げた交差点名看板。Nishinoshochoみたいな色抜けをしていた。oとcの素材だけが劣化しやすかったのだろうかと思ったが、だったら最後のoとか庄のoとかも退色していていいはずである。もしかしたらoとcは同じoから生まれた兄弟(oの右側を切ってcにした)なのかも知れない。そんなことを1sec内外に思った。
そもそもこの文字はシール式なのか。一枚のシートをカットするだけじゃないか。とはその数分後に思った。
ついこの間、ふいに、
一人でも忍者
という言葉が流行っていたことを思い出した。中学生か高校生の頃のことである。
誰が言い出したのかははっきり思い出せないが、こういうことを言い出すのはN氏と決まっている。この一言が書かれた葉書を受け取ったことがあるようにも記憶する。
三十数年の時を経てこんなつまらぬ口合に解説を加えるのも愚かだが、敢えてその愚を極めてみれば、要するに
一人でも仙人
のバリアントである。一人なのに1000人という多さがウリとなっている元ネタに対し、たった2人という数の少なさ、かつ正確には2人でもなく結局は1人であるという無意味さ(頭の「に」しか合致しない)、に底知れぬアレを感じたものである。
この「一人でも忍者」というワードこそ、奇妙なポテンシャルの初観測であったかも知れない。常識から導き出される「仙人」を躱して「二人」を連想させる「忍者」を継ぐ辺り(というよりも「忍者」に「二人」の影を見てしまう辺り---考えてみれば忍者なんだから分身の術とかで2人になっても良さそうなものである---)はまさしく取り扱いに困るポテンシャルを宿している。呟いてみたところで何も起こらないし理解も深まらないことはわかっていても呟いてみてしまいたくなるポテンシャルを秘めている。事実今までの人生で何度この言葉を呟いたことかわからぬ。そうしてその都度忍者とニンニンとニンジンが未分化な思考の底で交錯したのである。
そんな奇妙なポテンシャルをここ20年近く忘れていた。よく思い出したものだ、偉いものだと思う。その記念に一人でも忍者。
_ 渡辺 [修正確認しますた。]
_ nagajis [間違えて-1180円引いてしまいスミマセン・・・]