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2013-04-21 [長年日記]

[煉瓦][][近代デジタルライブラリー] 『商業登記会社全集』(明28.9)

おなじみの6大会社に収斂していく過程を見ようと思ったがうまくいかず.炭屋に煉瓦工場なんてできたっけ.津守煉瓦のことかしらんと思ったが林尚五郎は出てこない.

○大坂窯業株式会社(明治二十七年一月十一日登記済)

営業所 大阪府西成郡川南村大字港屋百十二番屋敷本店

会社目的 煉瓦製造販売

設立年月 明治十五年一月十二日

開業年月 明治十五年一月十五日

存立時期 明治四十年一月十四日迄五ヶ年

資本金額 金四万円

株式総数 二千株

一株金額 金二十円

払込金額 金四万円

取締役の氏名住所 大阪市北区松ケ枝町 専務取締役 白井唯一

同市同区宗是町 取締役 山口幸七

同市東区谷町二丁目 取締役 長尾藤三

>大阪窯業株式会社,のはず

○附洲煉化株式会社(明治二十六年十二月二十九登記済)

営業所 堺市大浜通三丁四番屋敷本店

会社目的 煉化石製造業

設立年月 明治二十二年十一月六日

開業年月 明治二十三年一月二十三日

存立時期 明治五十一年十一月六日迄

資本総額 金一万五千円

株式総数 六百株

一株金額 金二十五円

大坂市東区高麗橋五丁目 専務取締役 野田吉兵衛

大阪市北区中ノ島二丁目 取締役 外山侑造

大阪市東区高麗橋四丁目 取締役 宮津賢次郎

富山県婦負郡速星村大字板倉村 取締役 稲泉清次郎

>日本煉瓦株式会社

○岸和田煉瓦株式会社(明治二十六年十一月二十七日登記済)

営業所 和泉国南郡岸和田町大字岸和田並松二百八十番屋敷

会社目的 煉瓦石製造並購買及販売業

設立年月 明治二十年七月六日

開業年月 明治二十七年七月七日

存立時期 明治三十四年七月七日迄

資本総数 金一萬四千円

株式総数 七百株

一株金額 金二十円

株式払込 金二十円

取締役の氏名住所

大阪府南郡岸和田村四百三十七番地屋敷 社長 山岡い方

同府同郡見塚町大字見塚南二番屋敷 取締役 木谷七平

同府同郡見塚町大字見塚西百四十三番屋敷 取締役 広海惣太郎

同府同郡岸和田町大字岸和田南七十三番地屋敷 取締役 寺田甚與茂

同府同郡同町大字岸和田北七十五番屋敷 取締役 金納源十郎

>泣く子も黙る岸和田煉瓦

○大坂煉瓦石合資会社(明治二十六年十二月三十日登記済)

営業所 大阪府西成郡川南村大字炭屋一番屋敷本店

会社目的 煉瓦石製造販売業

設立年月 明治二十年四月十九日

資本総額 金八千円

業務担当員 伊藤定吉 高橋卯吉 岡島嘉平次

社員の氏名住所及支出額

金二千円 大阪市西成郡川南町大字炭屋 伊藤定吉

金二千円 同府同郡同村大字小林 木寺総吉

金二千円 同府同郡同村大字南恩加島 岡島嘉平次

金二千円 大阪市西区京町堀通一丁目 高橋卯吉

三栄社>伊藤煉瓦工場? 

[煉瓦] 若井製造所

画像の説明

有名物件の意外なところに見つけた刻印.後の若井煉瓦.明治14年なら誤字も納得いく(か?).

[] 大阪煉瓦土管業@明治34年頃

大阪窯業株式会社

堺市南附洲新田一番屋敷
電話堺174番

▲設立年月 明治十五年一月

▲資本金 十二万円,既払込株金拾万二千円,積立金九千円,一株五十円

▲沿革 同社は明治十五年一月資本金一万円を以て株式会社を組織し大阪市西区川南大字湊屋に創立し硫酸瓶製造会社と称し登り窯二基の築造をなし硫酸瓶並に雑種陶器及煉瓦製造を開始す同二十年十一月資本金を五万円とし社名を大阪窯業株式会社と改め「ホーフマン」式輪環の煉瓦焼窯一基を築造し煉瓦製造事業の拡張をなす同二十六年十二月陶器製造を廃止し専ら煉瓦製造をなし同二十九年一月再び資本を増額して六万円とし堺市南附洲新田字紺屋町浜に分工場を設け同社改良の「ホーフマン」式輪環煉瓦焼窯一基の築造をなす同三十一年製品改良の目的にて独逸より最新式煉瓦製造機器を取寄せ爾来此器機にて製造に従事せるに幸にして好成績を得たり而して同社技師の発明に係る前記環窯は製品の焼度均一を得せしむると余熱を利用して素地の湿気を排除し焼成の上品質の色澤の美麗ならしむるの考案にして専売特許たり又同年七月大阪の本社を堺の分工場へ移し同年十一月資本金拾二万円に増額し同三十三年一月「ホーフマン」式輪環窯一基を増築し従来のものと二基を以て現今の事業に従事せり.
▲製品の種類及其価格 普通品のは東京形並形の二種にして其他異形と称うるもの数種あり,価格は東京形一千個に付十二円並型同拾円なりとす
▲原料及其生産地 原料は粘土にして其生産地堺市付近の耕地より年々約九百万貫目内外を採掘す
▲販路 大阪,神戸,京都,近江,和歌山,山陰,山陽,四国,九州,台湾,朝鮮及清国
▲最近五年間の製造額は左の如し
 明治三十年 五百七十二万三千八百三十五個
 明治三十一年 一百一万三千五百七十六個
 明治三十二年 四百七十一万千八百六十八個
 明治三十三年 八百十八万九千二百八十四個
 明治三十四年 千二十七万四千二百個
▲総て会社直接の取扱にして委託販売等の事なし
▲役員 社長磯野良吉,取締役辻忠右衛門,同河中源造,同白井唯一,監査役長尾藤三,同内藤為三郎,支配人兼技師長大高庄右衛門
▲職工数 男四十九人女十四人

堺煉瓦株式会社

大阪府堺市吾妻橋通二丁

電話堺一五六番

▲設立年月 明治二十六年六月
▲資本金 二拾五万円,一株二拾五円,払込高七万円
▲沿革 同社は元共立合資会社と称したりしを明治二十六年株式会社に変更したるものにして其存立期間は廿ヶ年なり.同社の盛時は設立より二十八九年に到る迄にして此間常に二割有余の配当を為したるも三十年以来は需要の減少,同業者間の競争等の為め従前の如く利益を得る能わずして其配当も六分に降りたるが本年に及びて較や好況を呈するに至れり
▲製品の種類及其価格 同社製作品は並型煉瓦及東京形煉瓦の二種にして並型は一個に付七厘,東京型は七厘五毛なり
▲原材料及其産地 原料は粘土にして大阪府泉北郡百舌鳥村より出ず
▲製造額 同社過去五年間の製造額は左の如し
三十年 7,100,000個
三十一年 4,000,000個
三十二年 4,100,000個
三十三年 5,900,000個
三十四年 7,600,000個
▲販路 大阪,神戸,九州,山陰道,台湾,朝鮮等
▲販売の手続 大口は入札に依り小口は臨時販売す,朝鮮等への輸出は同社直接の取扱に係るときと又間接輸出の場合あり
▲役員 取締役福本元之助,武内四郎,岡村猪之吉,佐野幸助,監査役員広岡信五郎,正野玄三,高木嘉兵衛
▲雇人職工数 事務員十二人,職工三百人(内二百人は囚徒を使用す)雑役五十人

貝塚煉瓦株式会社

大阪府泉南郡貝塚町大字貝塚南百九十九番屋敷

▲設立年 明治二十七年七月
▲資本金 七万円(払込済)一株二拾五円 積立金四千三百円
▲沿革 同社は元貝塚煉瓦製造所と称し明治廿五年の創立に係り,田端治平氏一個の所有なりしが同廿七年七月資本金一万円の株式会社と為して現今の社名に改め其後事業の拡張に伴い同丗一年一月七万円に増資して今日に至れり
▲製品の種類及其価格 上等,中等,下等の三種にして一千個の平均価格七円五十銭なり
▲原料及其産地 原料は粘土にして田畑の床土を用い,産地は大阪府泉南郡麻生郷村及北近義村等なり
▲製造額 昨丗四年七月より同十二月に至る同社半期間の製造高は四百八十八万九千八百四十八個半製品四十六万四千八百四十四個,合計五百三十五万四千六百九十二個 にして平均一日の製造は二万九千百個に当る
▲販路 販売歩合は神戸及大阪へ七分,中国及九州へ三分にして多くは鉄道用及倉庫用に供す
▲営業の方法 入札又は指命に依りて之が供給を為し代金は現品を需要指定の場所へ持込み検査を受けたる後之が支払を請く
▲役員 社長田端治平,取締役信貴孫次郎,沼野八郎平,左納亀之助,監査役大澤貞順,塩谷五平
▲職工数 男二百四十三名,女工五十七名

岸和田煉瓦株式会社

大阪府泉南郡岸和田町大字岸和田町並松二百八十番地

▲設立年月 明治廿六年十一月
▲資本金 五万円(払込済)一株二十円,積立金七千八百五円
▲沿革 同社は初め第一煉瓦製造会社と称し明治廿年七月の創立に係るものなるが同廿六年十一月商法の規定により更に登記を受けて岸和田煉瓦株式会社と改称し資本金も一万四千円を廿八年十月中増加して四万二千円と為し更に翌年七月五万円に増資して総株数二千五百株とし又器機も旧式煉瓦焼上げ窯のみなりしも更に洋式ホフマン窯数個を備えて大に事業を拡張したり
▲製品の種類及其価格 赤焼煉瓦石東京形一個に付一銭,同並型一個に付九厘,耐火煉瓦石東京形一個に付二銭,同並型一銭八厘なり
▲原料及其産地 原料は粘土及白土にして粘土は泉南郡沼野村,岸和田村,南掃守村より取り白土は同郡熊取村の山地等より出づ
▲製造額 同社昨丗四年の製造額は一千百三十一万七千個なり
▲販路 大阪神戸,五歩,山陰山陽両道,二歩,清国及韓国一歩,九州一歩,各地方一歩,
▲営業の方法 販売は官衙及諸会社の需要に応じ入札又は随意契約の方法を取り其他仲買人に相当の手数料を與え需要者と直接取引することあり
▲役員 社長山岡伊方,取締役寺田甚與茂,広海惣太郎,金納源十郎,木谷七平,監査役寺田元吉,宇野小七郎,支配人日高邦道
▲雇人職工数 百十三人

横山耐火煉瓦製造所

大阪市南区塩町通二丁目六十一番屋敷

電話 東九三七番
工場 南区難波稲荷町一丁目

▲設立年月 明治二十四年五月
▲沿革 設立の当時より二十六年に至る迄は製造額年を経て増加し大に好況を呈したりしが二十七年後半季より日清戦役中は需要額に減じたりしも戦後経済界の膨張事業の勃興と共に需要頓に増加するに至れり然るに三十四年度に至り政府事業繰延の結果之が影響を被り一時需要減少したりしが本年後半期に入り再び旧に復するに至れりと云う
▲製品の種類及其価格 左の如し
並型耐火煉瓦一個に付き 自三銭至四銭五厘
耐火モルタル一基に付き 自一銭至二銭
分析用マップル一個に付き 自四十五銭至一円二十銭
各種異型耐火煉瓦石 価格は製作の難易形状の大小に依りて一定せず需要家と相談の上之を定む
分析用各種土製坩堝及焼皿鋳鋼土管 価格の点は前同断
▲原料及産出地 蝋石質(兵庫県神崎郡及其付近一帯及備前和気郡三石村及其付近(粘土質(京都府相楽郡鹿背山村及付近一帯,伊賀国阿山郡島原及其付近及大阪府泉南郡熊取村及其付近)
▲製造額 最近五ヶ年間の製造額は左の如し
明治三十年 680,000円
明治三十一年 1,008,000個
明治三十二年 1,150,000個
明治三十三年 1,300,000個
明治三十四年 960,000個
▲用途 高度の熱を要する諸火爐の内部に使用して対火作用に耐う
▲販路 内地十分の九外国十分の一
▲販売の手続 各需要家の注文に応じて製造販売す
▲製造主 横山善三
▲職工数 三十五人

河内赤山煉瓦製造株式会社

大阪府北河内郡甲可村大字岡山

▲設立年月 明治三十年十月
▲資本金 三万円 一株三十円
▲沿革 同社は初め煉瓦製造の目的を以て起りたるも結果思わしからず其原料たる土質は煉瓦よりも寧ろ黒焼土管に適するを以て中途にして之が目的を変更し明治三十三年五月尾張より職工を募り土管製造を試みたるに頗る好結果を得たれば爾後煉瓦製造を休止して更に土管製造に従事し以て今日に至れり
▲製品の種類及価格 製品は土管にして其価格は並尺金四十五銭,同七寸五分二十七銭,同五寸十五銭,同四寸九銭,三寸五銭五厘等なり
▲原料及其山地 原料は粘土にして同社付近より産出す
▲用途 鉄道,道路,下水道等に使用す
▲製造額 三十三粘土及三十四年中の同社土管製造額は左の如し
1,157,680円(三十三年度)1,372,540円(三十四年度)
▲販路 大阪及各地方
▲販売の手続 同社直接の販売は甚だ少額にして大部は各販売店に特約す
▲役員 社長岡島利三郎,取締役岡島孝太郎,村川市次郎,植村藤三郎,山本猪太郎,監査役澤田與三郎,岩井政之助
▲職工数 職工六名 人夫八名

(『大阪府工業概覧』明治36.1)

[][煉瓦] 大阪府誌@明治34

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765472/263

第十五節 煉瓦

府下に於て煉瓦製造の盛なるは古来和泉国を以て冠とす.今なお然り,抑,府下に於ける斯業の濫觴は明治二年造幣局並に大阪造兵司分工場等の建築起工に際し之れに充用する煉瓦製造の目的を以て企画経営したるに在りて,当時,内務省の所属として和泉国堺市住吉橋通二丁目旧函館館会所跡を利用し之れを事務所に充て,尚これに隣接せる民有地一万坪を買収し[ここ]に初めて其の事業を開始し,当時,専,囚徒を使役し盛に製造せり.初工場を此の地に選定したる所以のものは其の原料年度の良否を選択するに[あた]り和泉国泉北郡百舌鳥村の荘及び八田の荘は古来陶色と称せられ,後,僧行基も此の地の土を用いて良土器を製出せしより世に之れを行基焼と称し(行基の事は陶器の部に詳なり)当時頗賞玩せられきと云うに基づき,該地方の土塊を採り之れを試験せしにその結果果たして煉瓦の原料として稍良効なるを以って遂に此の地に工場を設置するに至りしものなり.是れより其の附近に置いて斯業を計画するもの陸瑣相踵ぎ,遂に斯業をして独,和泉国に盛ならしむるに至れり.而してその率先して創始したるものは丹治利右衛門,山岡尹方等にして,丹治利右衛門は明治三年同市寺地町三丁目引接寺内の廃跡に於いて工場を建設せり.是れ今日の丹治煉瓦工場にして,実に府下に於ける民設経営として斯業の嚆矢なりとす.氏はもと瓦製造業にして,其の創始は霊元天皇の貞享二年なりと云う.次いで明治五年旧岸和田藩士山岡尹方同地の旧藩練兵場廃跡を利用して丸窯三個を築造し,専,旧藩士族の恒産なき子弟を募り授産の目的を以って業を起し,同年九月に至りて創業せり当時,同業者の数いいまだ多からざるに需要頻繁なりしを以って一時盛況を呈し,しかのみならず当初の画策能く其の目的を全うし,同地の士族中或いは生計の窮境に彷徨せずして漸次に各自の産業に就きしに至りし者其の力与りて多きにありと云うべし.而して煉瓦の需用は日に突きに増進し事業は益々盛大に趨きて前途有望なりしが,後十数年を出でずして起業者各所に勃興し,遂に供給は需用に超過し漸次衰運の傾向を顕し,爾来,不振の域に沈[氵+侖]し苦心惨憺[つい]に其の命脈を維持するに過ぎず,偶々道古久米三郎といえるもの斯業を賛助し,製法の改良販路の拡張等講究怠らざりしが而もいまだ十分の復活を見るに至らざりき.然るに明治二十年に至りて寺田甚與茂外数人の協賛を得て株式組織に改め,大いに事業を伸張するを得たり.是れ即,今の岸和田煉瓦株式会社にして爾来頗経営に努めついで旧式の窯を廃し更に独逸式ホーフマン窯に改めて大いに製法を革新せり.蓋,和泉国に於いて洋式即環輪窯に改築したるは実に之れを以って嚆矢とす.是より先明治六年原口仲太郎といえるもの既記官設経営に属する地所及び建物の払下を受けて其の事業を継承し,鋭意製法の改良販路の伸暢事業の拡張に努めき.当時,需用の重なるものは造幣局をはじめ各府県庁舎の建設等にして,次いで神戸大阪間鉄道布設及び東京市銀座市街の改築其の他各地鉱山等の工事踵を接して起り,一時に多数の煉瓦を要するを以って供給頻繁を極め,前途非常に有望なりしを以って同業者また各所に勃興し,爾来産額また大いに増加し遂に府下に於ける他の重要工産品を凌駕せんとするの形勢なりき.抑,斯業は是れより先孝明天皇の安政四年に幕府肥前国長崎の瓦屋某に命じて煉瓦を製造し之れを同所飽浦に築造する所の製鉄所用に供せしめき,当時之れを監督せしものは和蘭人ハルデスにして,之れを本邦に於ける斯業の嚆矢なりとすと云う.其の後,徳川家定海外各国と通商互市のため開港定約締結の端を啓発し,遂に同六年武蔵の横浜等を貿易港として開港せり.以来,其の地を区画し居留地と称して外人の住居を許ししより外人の移住するもの歳と共に増加し,其の家屋は多く各自国の構造法に随い石又は煉瓦を以って築造し,時人之れを洋館または煉瓦造と称せり.本邦に於いて家屋を造るに或いは本邦の建築に擬し或いは和洋折衷の構造を為すに至りしもの皆之れに倣いしものにして爾来此の風漸次増加し,殊に明治の御代に移り其の築造益々流行し現に宮城皇室をはじめ各皇族の第宅諸官衙等悉洋風の構造に改築せらるるに至り,是れより建築法殆一変し諸会社銀行其の他公共の建造物をはじめ紳士豪商の屋舎に至るまで或いは大概洋風に変化し或いは和洋折衷の構造となり,煉瓦の需用益々増加して斯業は逐年著しき盛運を致し随いて斯業を経営する者一層各所に続出せり.然れども当時,製造の技いまだ精巧ならず,製品の形状品質共に佳良なるもの甚尠なく,府下に於いても往往粗製の謗を免かれざりしが,爾来,鋭意或いは製法の術を研鑽し或いは窯の構造を変更し,又,洋式窯を築き以って熱心品質の改善を講究したるが為,遂に能く猛烈なる火勢に耐うる良品を製出するに至れり.是れ府下煉瓦の名声の世に普及したる所以にして,益々歓迎せられて事業は着々伸張の盛運に趨き遂に府下工産品中重要品の一に数えらるるに至り明治二十一年の比には其の製造所已に十数箇所の多きに及ぶに至れり.以って其の如何に盛況なりしかを知るべし.然るに明治二十三年に至り一般工業は不振の域に沈[氵+侖]し,為に工場の新設企業の設備等は皆無の姿にして,斯業[ここ]に其の影響を被り需用また減縮するの傾向を顕し,加うるに明治二十四五年の頃は経済界の同様常なく商工業は共に至難の極に達して斯業の販路殆[閉]塞し,創業以来の盛況は[ここ]に全く反対の姿勢を顕して益々衰運に趨くの傾向なるを以って,或いは転業若くは廃止するもの多く工場数も僅に五六個を現存するに過ぎず,而して其の存せるものも尚製造力を逞うする能わずして[つい]に其の命脈を保つに過ぎざりき.然るに明治二十六年以降二十七八年の戦後経済の膨大に伴ない各工業の資金を得る容易なるを以って諸般の事業一時に勃興し,斯業も亦[ここ]に二たび順境に至るの形勢を呈し,遂に製造者の数大いに増進して会社三十二個人十六計四十八箇所の起業を見るに至り実に創業以来未曾有の盛況を示したり.然れども斯の如き一時起業熱に侵されて勃興したるものは能く永遠に維持すべきものに非ず果して同三十年後半期に移りては其の反響直ちに顕われ,供給は需用に超過して販路は俄然逼塞し,遂に廃業者続出し倒産また此れに次ぐの悲境に陥り,三十四年末に至りては其の事業を継続し以って府下同業組合に其の名籍を列するもの僅に五社と三個人との八個所となるに至れり.是れ蓋みな軍挙暴進の結果たらずんば非ざるなり.左に明治三十四年末に於ける会社の資本金其の他を表示せん.

社名創立年月資本金額払込金額積立金払込金積立金合計
大阪窯業株式会社明治15年1月120,000円93,000円93,000円102,000円
天王寺煉瓦株式会社明治30年10月12,000円3,833円-3,833円
堺煉化株式会社明治26年7月250,000円70,000円15,400円85,400円
岸和田煉瓦株式会社同20年7月50,000円50,000円5,305円55,305円
貝塚煉瓦株式会社明治27年4月70,000円70,000円4,300円74,300円
日本煉瓦株式会社明治29年8月300,000円75,000円7,300円82,300円
河内赤山煉瓦株式会社明治30年5月30,000円14,700円-14,700円
阪堺煉化合資会社明治19年12月30,000円30,000円3,000円60,000円
合資会社五成社明治29年2月10,300円10,300円-10,300円
大阪煉瓦合資会社明治33年12月30,000円-30,000円
森合名会社明治31年12月2,530円-2,530円
904,830円449,363円71,305円520,668円

実に斯業の大部分は本表各会社の占領せる所と云うも不可なきものたるに拘わらず其の資金は百万円弱にして,之れに対する払込及び積立金を合わせて其の半額以上なれども実際の流通額は該半額の四分一に過ぎず其の他は固定資本に化せるものと謂うべく,而して其の四分一の流通資本の運転を三回とするも尚四十万に足らず.此の他個人の資本を合わすとも五十万円に至るは難きが如し.事業の振わざるを以って知るべきなり.

現業者氏名及び製造場表

製造場主名製造品種製造場所所在地名原動力機関数原動力公称馬力職工人員男職工人員女
大阪窯業株式会社煉瓦堺市南附洲新田明治15年1月117491665
堺煉瓦株式会社煉瓦堺市吾妻橋通二丁目明治26年7月--20727
岸和田煉化株式会社煉瓦泉南郡岸和田町明治27年7月--7927106
貝塚煉瓦株式会社煉瓦泉南郡貝塚町明治27年7月--13626162
日本煉瓦株式会社煉瓦泉北郡舳松村明治30年6月--151424
丹治利右衛門煉瓦同郡舳松村明治3年5月--201110
北村市松坩堝煉化東成郡鯰江村明治29年5月--11-15
日本煉瓦株式会社分工場白地煉瓦泉北郡鳳村明治30年6月--16811
河内赤山煉瓦株式会社煉瓦北河内郡甲可村大字岡山明治30年10月--10-40
広瀬倉平坩堝及耐火煉瓦西区湊屋町明治21年6月--151013
尾崎清七煉瓦西成郡勝間村明治30年3月--6511
林尚五郎煉瓦西成郡津守村明治34年4月--20-2040
津江[草冠+保]耐火煉瓦北区安治川通三丁目明治17年--12113

以上は其の主なる現在工場職工人員及創業年月日等を示せるものにして,此の他なお10数箇所あれども甚盛なりと云うを得ざるのみならず,大体に於いて又機関の設備甚幼稚の範囲を脱せざるを見るべし.而して本表と既に記したる八箇所と其の数に於いて符合せざるは要するに事業甚挙らず或いは他業の兼営たる等によりいまだ組合に同盟するに至らざるに依る.更に最近二十箇年に於ける斯業の消長を示せば左の如し.

産額表

製造戸数職工人員一日平均職工費数量(個)価格(円)
明治15年587581452303,932,79536,271
明治16年5103471503353,042,35322,327
明治17年690401302302,082,70012,842
明治18年4209792882553,450,00017,615
明治19年8229602892506,030,00033,522
明治20年82318131227010,032,12337,345
明治21年1542812559327024,683,818143,163
明治22年2156113269328037,292,902201,982
明治23年1538412050428046,636,197250,211
明治24年1538516755228522,305,643128,652
明治25年62519534629015,687,707100,229
明治26年1025110035130018,086,805103,825
明治27年1330512643128030,215,766592,466
明治28年3081112693728093,170,000633,556
明治29年426002778774809,785,4001,315,270
明治30年4861333965257035,500,000390,500
明治31年452259431940021,580,000172,640
明治32年4056020776750036,930,125281,118
明治33年2083214748050,796,365402,212
明治34年1556610767348062,184,659482,514

是に[よ]りて之れを観れば十五年より三十三年まで駸々として進歩し,二十五年は前年の暴挙に基づき著しく衰退せるを見る.而して三十三年頃より稍回復の兆を顕せりといえども徒に産額の増加を見るに止まり,供給は依然として需用に超過し事業は反りて不振の範囲を脱せざるが如し.左に二十年以降の工場数等を表示せん.

工場数職工人員原動力
機械数公称馬力
明治20年7350--
明治21年9347--
明治22年13488--
明治23年15415--
明治24年14204--
明治25年7637--
明治26年10342--
明治27年13394--
明治28年11353--
明治29年13506--
明治30年18539--
明治31年15322--
明治32年11214--
明治33年4107--
明治34年5124117

本表は職工十名以上を使役し且その規模稍整然たる工場にして,其の増減の甚しきは他の工業中恐らく其の比あるを見ず,以って斯業の変遷殆恒なき一端を察知するを得べし.然れども近時漸を逐いて進運に向うの趨勢あるは最近十箇年に於ける産額増加の歩合に徴して知るべく,明治三十四年を九年以前の同二十五年に比するに実に約四倍に達せるを見るべし.即其の表左の如し.

産額増減及び生産力と職工との対照表

産額増減歩合職工一人に対する生産価格職工一人に対する賃金差引残額
明治25年1.00289.7195.7194.10
明治26年1.15292.9099.0193.90
明治27年1.921,374.6392.401,282.23
明治28年5.94676.1592.40583.75
明治29年6.421,499.73158.401,311.53
明治30年2.26410.24188.00222.40
明治31年1.38541.19132.00409.19
明治32年2.35366.52165.00201.52
明治33年3.24410.83158.40252.43
明治34年3.97716.96158.40558.56

売買の慣行.売買方法は官民の差別なく主として購買入札せしめ,契約品納付済のうえ代金の払入を受け又は契約数十分の六乃至七以上を納めて半額を受くる等一定せず.又,仲買人と唱え煉瓦販売のみを業とする者との間に於ける売買は代金支払期日を特定して売渡すを通例とせり.

販路.当組合の製品販路は多く関西各地其の工事の起る所に販売す.而して数量価格等は府の内外に分かち之を各別に掲げ難し.

原料の購入.府下泉北,泉南,東成三郡よりするを最とす.


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