nagajisの日不定記。
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帰宅時のひとこま。商店街に向かっている時、近くの公園でハロウィン仮装パーティーが催されているらしく、仮装衣装に身を包んだ子供とすれ違った。公園には先着組がいて衣装の見せ合いっこをしていた。異国の祭りであり商業主義に踊らされる祭りだとしか認識していなかったのだが、それがいつの間にかこんな身近なものになっていて驚くと同時に、「まあ、悪くないな」と思ったりもした。
子供が常ならぬ衣装を纏ってTrick or Treat。考えてみれば日本にも似たような風習はあった。地方によって呼び名は違うが、確か「コトコト」とか「ホトホト」とかいったはず。子供らが神の使いに扮して地域の各戸を巡り、唱えごとをしたり豊作の予言をしたりして、その御礼にモノをもらう。悪魔か神かという違いだけだ。
「カセドリ」もそうだったんじゃね?と思って検索したら、こちらは独身男性2人組だった。子供にしろ青年にしろ、そういう神に成り代わって訪問する行事は数多く存在した。仮装をしなくても、子供が神の憑り代となって神託をする---あくる年の豊作・豊漁であったり、村の住人の悪事を暴いたり---というのも多い。名前はいちいち覚えてない。
もちろん子ども自身が預言をしたり悪事を見抜いたりしていたわけではない。そういうふうに言えと大人らが言い含めていただけだ。子供の口から発せられることに意味があると考えられていたということ。
以前は子供が中心となる祭りが多かった。葵祭の稚児然り。亥の子打ち然り。ハラメンボウを振り回して既婚女性の尻を叩いて回る、みたいな乱暴も許された。時代が下り、回り回って米国版子供行事にその風習が再発露したと考えると、それなりに腑に落ちる。
ハロウィンは子供がやるから許されるのだ。これが大人だったらタイヘンなことになる。なまじっか英語知識があるとなおさら危険。orとandと言い間違えたら
お菓子をやるからいたずらするぞ
だ。変質者以外の何物でもない。
波除5丁目の住宅の舗石。機械成形だと思って見過ごすところだったがたった一つだけ刻印が見えていた。○にMのシルエットがよくわかる、刻印見本のような一瓦。
九条の商店街の外れに一個だけ転がっていた。『大阪窯業五十年史』に写真入りで掲げられているやつで、四角柱の平の面?には何の加工も施されていないかわり、小口に大窯マークが入っている。モルタルに塗れていて判別しにくいが。