nagajisの日不定記。
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そういやもう11月に入っているんだった、ということで上神崎川橋梁の現況を確認しに行った。
2018年11月11日の状況。吹田市側の橋脚に小さな橋?が渡されているほかは特に変わった様子はない。前後の旧線敷は工事作業スペースとして整備が進んでいたけれども(掘り返された煉瓦構造物は埋め戻されたようだった) 。
今回は吹田駅まで歩いてみたのだけれども、そのお陰で緑風橋の吹田側たもとに工事の説明看板があることに気づけた。淡路周辺の立体交差に接続するためこのあたりから登りにかかるようだ。新橋の建設は平成30年度・31年度に予定されているから、橋脚もその期間内に撤去されるのだろう。
新橋の橋脚は旧橋脚と被らない位置に予定されている。だからといって残される可能性はないだろう。河川占用物だし船舶航行の邪魔になるし。問題はどのタイミングで撤去されるかだなあ。壊してから新橋脚を作るのか、新橋脚をつくる時の作業スペースとして利用したあと壊すのか……。
ようやく導入が固まった。文章よりも地図や画像の配置と文章とのスリツケに悩む。まったくご苦労さんなことである。こんなの今日一日でできた仕事だろうにな、痺れ末端と耳鳴りで劣化してるから。頑張って12日中には仕上げたい。
最初と後半の現在地図は変遷図の最終形を使おう。
そうして息抜きに近江長岡〜柏原〜関が原とストビューで眺めて見れば、なんのことはない、無数に煉瓦暗渠があるじゃないか。しかも相当でっけえや。伊吹せんろ道なんて行かずにもうちょっと先に行ってればM34の煉瓦も測れたのだ。惜しいことをしたものだ。
もう少し距離が短かければ、関ヶ原線を走って東海道線沿いに戻ってくる周遊ルートができるかも知れない。まーでも深谷の暗渠は潜って楽しむのが本筋なのであって、東海道線のもそうだけれど、外から見ただけ巡るだけじゃあなんの実にもならんだろうしくぐって回るほどの時間はたぶんない。
書いているうちに近江長岡〜関ヶ原間の複線化年次がおかしいことに気づいた。Wikip.なんかだとM33となっているが「日本鉄道史」にはM34に完工と書かれてある。近江長岡〜米原間はM35。どうせ[禁則事項です]なんだから「日本鉄道史」のほうを採用しよう。わざとらしく出典を付け加えてだな。むろん「日本鉄道史」が間違っている可能性もあるけど、本のほうが間違った責任をおっ被せられる。