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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2019-12-23 [長年日記]

[独言] 図書館へいく

明治29年の大阪府の煉瓦製造量、あるいは生産額を知りたい。

という瑣末に過ぎるリファレンスを受けて下さり随分調べてくださったのだが答えは得られなかった。最初にこれこれこれを確認したと申したのだけれど、合力して探してくださった方が出してくれる資料ゞが既にあたっている文献ばかりで何とも申し訳那須の夜市。

明治の大阪府誌第二巻工業部には確かに生産量が載っているのだが、その値が一桁違うんじゃないかという疑惑を晴らしたかったのである。データがあるということは当時の大阪府がデータを収集していたということで、そのデータが府止まりでなく内務省とか農商務省とかにも行ってそうなのだけれども、当時のそれに相当する『農商務統計表』第13次には煉瓦の項目がないのだった。陶器はあるけれど。

結局のところ、収穫は『大日本窯業協会雑誌』がwebで見られることを思い出させてくれたこと(M29かM30あたりの雑報に乗ってないだろ―か)、宮谷慶一「明治・大正期における煉瓦産業の分析 -統計資料からみた日本近代における煉瓦生産について その1-」を教わったことは収穫であった。後者の論文は「その2」にあたる「煉瓦生産額上位府県と労働時間の分析並びに統計資料の調査対象に関する補足」で大阪府単体の分析も行なわれているけれども明治38年以降しかないのだった。ざんねんだ。

そうして例のごとく古新聞を発掘する。今回は明治40年に手をつけることにした。この時期の煉瓦構造物にやたら混用が見られるのはなんでやねんということでこの年の産業状況なり世情なりを知りたかったのである。1月分しか見れなかったが久しぶりにマジ読みしたせいか色々と発見があった。毎索を明け渡して聞蔵に移ったりしたが、その聞蔵で拾い漏らしていた重要情報も多かったのである。聞蔵は「煉瓦」と「煉化」と「レンガ」の結果が正規化されていない。「煉化」「レンガ」で検索して初見の記事にヒットすること多々。しかしなぜか明治23年頃から30年代後半までヒットが全くない。紙面データベースには大阪朝日新聞創刊号~大正15年まで収録とあるんやけどなぁ。おかしいなあ。キーワード「煉瓦」でも引っかからないのは何かおかしい気がする。

[煉瓦][] 原口亀太郎→原口仲太郎(朝日新聞M18.11.8. 2面)

そんな朝日の重要情報。原口亀太郎と原口仲太郎の関係が明らかにできた。

●勤勉の余栄 府下堺区大浜通住居鹿児島県平民原口亀太郎と云えるは同地にて数年間煉化石の製造に刻苦し鉄道を始め大建築に用る煉化石は都て同人の製造品ならざるなき程の精良に達せしが惜いかな同人は客月九日俄然急病に罹りて死去したり依て鉄道局に於ては生前の勤勉を追賞せられ別紙の通祭祀料を下賜せられたりと
  金百円   原口仲太郎
其方父亀太郎儀年来当局用煉化石製造方に付勉励の廉も不尠候処死去候段憫然の至り依て別紙目録の通祭祀料として下賜候條吊祭に可供且其方は引続勉励し家業不惰様可到もの也
 明治十八年十一月四日   鉄道局印

鉄道一瞥」では堺の鉄道寮工場を原口亀太郎に払い下げたとしていた。「大阪府誌@明治34」ではそれが原口仲太郎となっている。して後年の統計書でも原口仲太郎が所有者となってる。なので原口亀太郎は仲太郎の父なんじゃないか、そうでなくても縁故者じゃ、と思っていたけれど、それが証明された格好だ。まこと瑣末な些細事項ではあるが、こういう偶然的な情報でもない限り証明が難しい事項である。見つけるのが困難なパズルのピースがひとつ手に入ったわけで、これからは大手を振って原口亀太郎=仲太郎の父ということができるのは大変心地いいことである。

(とはいうものの、朝日の記事は信憑性に疑問がないわけじゃない。逢坂山隧道に外国産煉瓦を使うとか、その頃までは尽く外国産使ってるとか書いて憚らなかったりするので。)

[][煉瓦] 三栄組マークの謎が解決するしなかった(朝日新聞M21.8.4. 3面)

画像の説明いかん、ずいぶん寝ぼけてた。これは共栄社ではないか馬鹿者。二本線を互い違いに組み合わせて三本線風にした記号は、どこかで見つかっていそうなんだが。

[煉瓦][] 第一煉瓦広告(朝日新聞M21.6.30. 4面)

画像の説明

だったらこっちのほうが役に立つ。岸和田煉瓦の前身、第一煉瓦の広告。以前Yさんから教わっていたとおり、件の×印は第一煉瓦時代から採用されていた。

[煉瓦][] 勝部煉瓦広告(朝日新聞M21.12.24. 4面)

画像の説明勝部も広告を発見する。そうして「○」印が掲げられておる。これは解釈を難しくしてくれる発見・・・「勝」「部」「煉」「化」「製」「造」「販」「売」「末」「広」ではないのか。しかし成山第一第二の辺りで○刻印が見つかっているのは確かで、勝部の操業時期はぎりぎり、そこに引っかかる。成山は明治23年7月着工、勝部はM23末まで存在。なおこの数日後の勝部の広告には何のマークも掲げられていない。

そのほかにも馬関の砲台建設が第二方面担当の一般企業請負入札で進められていること(条件が厳しくて日本土木しか入札し得なかったが入札額にイチャモンつけられて大幅に減額のうえ再入札で日本土木が落札。結局は指名入札みたいな感じになったわけだ。しかし当初は一般入札が建前で、いつかの時期に指名入札が認められるようになったはずなのである。yes, sir.)とか岡山の玉島煉瓦が×印掲げてたりとか堺煉化石の関係者名が井上勝彦以外にも判明したりとか井上勝彦が海防費寄付してたりとか偕行社と関係がある?とか。偕行社の件はちょっとあいまい。偕行社で行われた宝物天覧に井上が所有する陶磁器が並べられたというだけで偕行社メンバーとも限らない。肝心のM40の煉瓦商況も意外に存在した。1月頃じゃ何も出てこないと思ってたんだけどな。前年9月頃から経済界が急激に活性化し始め、1月に入ってからも未曾有の伸びを示していた。煉瓦供給も本年度生産見込みの相当割合がすでに購入者が決まっていて、各社ともその生産に追われている状況、あるいは新規注文は断ることになるやも知れぬ、みたいな話になっておるのだった。なるほどそういう状況だと市場価格はバカ上がりするだろうし、まとまった量を入手するのは難しかろう。山陰本線なんかは夏に大水害を被って作り直しが発生したりしている。その頃に急に&大量に購入できなかったからああなったんではないか、ちう話。

久しぶりの新聞発掘で手抜きができなかった。マジ読み4時間で1ヶ月しか進まなかった。いつ終わることやらだ。

[大日本窯業協会雑誌] 明治30年 瓦類及煉瓦石造物の風化(英国工業協会雑誌)(1897年6巻65号彙報)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/65/6_65_623/_pdf/-char/ja

[大日本窯業協会雑誌] 明治30年 京大使用煉瓦=堺・奈良煉瓦製(1897年6巻65号雑報)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/65/6_65_635/_pdf/-char/ja

第一期は京都大学使用煉瓦=堺、奈良両煉瓦工場が納入。163万個。

[大日本窯業協会雑誌] 明治30年 徳島県板野郡 陶磁器製造会社設立(1897年6巻61号雑報)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/61/6_61_454/_pdf/-char/ja

時期的に天羽が近いぞ。このほかにも京大使用煉瓦の件、鹿背山の山城煉瓦の出願など。掘れば掘るほど出てくるばい。

[大日本窯業協会雑誌] 明治30年岐阜県大垣市奥田氏工場、富山煉瓦工場(1897年6巻63号雑報)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/63/6_63_546/_pdf/-char/ja

[大日本窯業協会雑誌] 東京・大阪商況〔64号雑報〕

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/64/6_64_584/_pdf/-char/ja

鉄道建設に当て込んで小工場乱立するも日本煉瓦製造東京煉瓦金町煉瓦に注文が行き小工場は逼迫。

別報で大阪のも。大阪朝日の記事だから以前掲げたのは別だ。

淡路岩屋町の岩屋煉瓦、株式会社に改組。

[大日本窯業協会雑誌] 明治30年 馬関丸尾煉瓦、宮城製瓦株式会社(1897年 6巻66号雑報)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/66/6_66_682/_pdf/-char/ja

馬関丸尾煉瓦、宮城製瓦株式会社。

[大日本窯業協会雑誌] 明治30年 東西各社の純益、配当率(1897年6巻66号商況)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/66/6_66_691/_pdf/-char/ja

東西各社の純益、配当率。昨年上半期が最も好況。泉陽煉瓦は損益。

[大日本窯業協会雑誌] 明治31年 府下不況の様相(1898年6巻67号雑報)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/68/6_68_787/_pdf/-char/ja

府下不況の様。

[大日本窯業協会雑誌] 明治31年 宇和島煉瓦?(1898年6巻68号雑報)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/69/6_69_845/_pdf/-char/ja

宇和島煉瓦?

[大日本窯業協会雑誌] 明治31年 府下不況の様 その2(1898年6巻70号雑報)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/70/6_70_890/_pdf/-char/ja

府下不況の様。M29の製造高あった!と思ったら堺市のだった・・・。それでも堺市だけで32,954,829だから、大阪府誌M34の9,785,400個は明らかにおかしい。

君津郡煉瓦製造株式会社。発起人多い。

[大日本窯業協会雑誌] 明治31年 府下商況(1898年6巻71号商況)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/71/6_71_931/_pdf/-char/ja

府下商況。

[大日本窯業協会雑誌] 明治31年 元山浦煉瓦商況(1898年6巻72号商況)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/72/6_72_967/_pdf/-char/ja

長崎などから輸入。

[大日本窯業協会雑誌] 明治29年 山梨煉瓦、日本煉瓦、大阪煉瓦、讃岐・西讃(1897年5巻59号彙報)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/49/5_49_8/_pdf/-char/ja

こっからM29.1.。発起人他。日本煉瓦や大阪煉瓦、讃岐、西讃も。

[大日本窯業協会雑誌] 明治29年 三原煉瓦(1897年5巻60号彙報)M29https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/50/5_50_30/_pdf/-char/ja

大高庄右衛門関与。

関東の煉瓦供給不平均。金町煉瓦が被災、小工場の製品代価あがる。

[大日本窯業協会雑誌] 明治29年 朝日煉瓦、中河内煉瓦、泉南煉瓦、西宮煉瓦、山梨煉瓦、平坂煉瓦(1897年5巻60号彙報)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/51/5_51_64/_pdf/-char/ja

発起。山梨煉瓦、平坂煉瓦設立記事も。

[大日本窯業協会雑誌] 明治29年 中播煉瓦、馬関煉瓦(1897年5巻56号雑報)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/56/5_56_265/_pdf/-char/ja

[大日本窯業協会雑誌] 明治29年 大阪生産額(1897年5巻57号雑報)

あ、あった! と思ったら・・・これって以前テキスト化した東京朝日の記事やんけ! ああああああああああ答えは既に手中にあったんだぁぁぁぁぁぁ!!! ばーかばーかー>nagajis

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/57/5_57_290/_pdf/-char/ja

大会社合わせて39,806,586個。大阪府誌M34は9,785,400個だから頭の3が抜けていたと見てよい。

八王子煉瓦、津守煉瓦(林氏おらんぞー)、飯東煉瓦、住吉煉瓦、豊州煉瓦。讃岐煉瓦には大日本窯業会会員の設計の輪窯+登窯。

[大日本窯業協会雑誌] 明治29年 土佐煉瓦陶器株式会社に三重県の技術者(1897年5巻58号窯業彙報)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/58/5_58_339/_pdf/-char/ja

他に台場が原煉瓦製造所(北海道上川郡)、中越煉瓦合資会社(西砺波郡立野村)、中央煉瓦、篠ノ井鉄道冠着隧道煉瓦工場by鹿島組、愛知煉瓦合資。

[大日本窯業協会雑誌] 明治29年 煉瓦製造所彙報(1897年5巻59号窯業彙報)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/59/5_59_364/_pdf/-char/ja

いちいちかけんくらいにおおい。

[大日本窯業協会雑誌] 明治29年 東京商況(1897年5巻59号商況)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/59/5_59_375/_pdf/-char/ja

[大日本窯業協会雑誌] 明治29年 東京煉瓦株式会社、金町製瓦、名古屋監獄所煉瓦(1897年5巻60号商況)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/60/5_60_407/_pdf/-char/ja


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