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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-04-19 この日を編集

[陸幼日記]四月十九日 土曜日 晴

朝、食堂へ来られた〔し〕両先生はそのまま帰られた〔ぬ〕。昼食は「うどん」なりし為、あまり〔取消線〕食い過ぎてしまう〔ぬ〕。十三時半を九時半と見て、閑院宮殿下御台臨の際の予行が行わる。然るに、棒倒しを行った後、生徒監殿曰く「殿下御台臨を御中止あらせらる。」と、我、残念なりき。夕食まで自習を為す。今日は随意自習なる為、生徒集会所へ行きたかりしが、遂におしきって自習を為す。〔欄外:可〕我の意思の強健なるに感心す。日夕点呼後、机の引出及び整頓棚の検査ありしが、模範生徒殿より賞められて嬉〔し〕かりき。


1942-04-19 空襲続報 この日を編集

[陸幼日記]四月十九日 日曜日 曇

五時半より臨時外出し岩倉山に飯盒炊爨に行く。兎谷方面。予個人としてなすは今日が始めてなり。九時半帰校す、朝に於て山野跋■〔足篇に歩を渉に朱訂正〕をなすは何と涼々しくして気持良き事かな。以後もつとめてなさん。午前中かゝりて十時より五通手紙を書く。午後は十六時半まで生徒集会所に遊ぶ。今考うるに、今日の後半は実に、つまらぬ事をなしたと痛感す。然〔併〕し、学年始の覚悟に副うものなり。
昨日は、名古屋二、三機、神戸にも又一機、滋賀にも、和歌山県にも来り爆弾投下機関銃掃射をなすも損害少しな。


1943-04-19 この日を編集

[陸幼日記]四月十九日 月 雨後曇

今日も亦雨。今年の四月斯様に沢山雨の降ることに驚く。雨は桜をも散らし、又我等をして野外に出さしめずして誠に怨骨髄に徹する物なり。授業が愉快なり。特に代数が好ましく暇さえあれば常に問をとき、自習を全く或は三分の二用うること度々あり。午後は柔道にて関節を訓学にて戦闘中の兵の心得を学ぶ。生徒監殿の問に対し意味をとり違う。的確なる解答をすべく落着き然して考うるべきなり。剣術。良好なり。


2007-04-19 [Web][近世以前土木遺産]地図変換ツール作成 この日を編集

[近世以前土木遺産]調査のリストへ場所URLを貼り込む時に使えればと思ってWebで利用できる地図のURL等から他の地図のURLへの変換ツールを作った.

上のボックスに地形図閲覧システムの「北緯●度●分●秒...」のテキストや各サイトのリンクURLを放り込むと他の地図サイトの同じ場所へのリンクを生成する.作りはテキトー(特に座標系変換とか変換精度だとか)だが拡張性は充分.調子に乗ってぼんぼん放り込んでしまった.

現状,対応しているサイトは以下の通り.順不同.

国土地理院地形図閲覧システム(検索結果で出てくる"latitude=..."形式のリンク,地図をクリックして表示される「北緯●度●分●秒...」."b=..."形式はバグありなハズ),Mapion(を使ってるYahoo!,livedoorなど),Mapfan(を使ってるgoo地図など), alpslab base,NAVITIME,MSN地図(肝心のURL指定リンクがWindowsのIEでないと出せずう●こ使いにくい),いくとこガイド(1024x768以上の画面を想定しているらしくてうん●使いにくいが国交省の航空写真と切替えられるのがunique),ちず丸(使いにくい上に重い●んこ^2).変換先は以上に加えてtdbのエクスポート(GoogleMaps)と国土交通省国土画像情報閲覧システムの航空写真.Googleマイマップは全く仕組みが違うので保留.リンクからfileで読み取ってsetCenterの値を拾うことができれば他の地図へ変換できるはずだが,読めるか?しかもフレームで来るしな.切り分けられんかも.

同じメーカーの地図を使っているサイトのURLを個別に出す必要はないかと思ったが,独自の生活情報をのっけている所もあるみたいだし.そのうち考える.&,拡大率に関しては不問かつ決め打ち,ここの地図に対応して!とか倍率ドン!ほか要望受付升.但しはらたいらに2000点は不可(世界測地系に対応していいないので).

にしても世界測地系に移行したんじゃなかったのか>日本(wgsなのはウオッちずとGoogleMapsとMSN地図だけとは).


2009-04-19 帰宅 この日を編集

[企画] 疲れたー。

画像の説明や、探せばあるものですね。というより今回はやのさんのお陰。nagajisは前ヶ辻谷のことしか考えてなくて、やのさんの事前調査と神戸首部S24のお陰でより実りの多いOFF会になったのであった。ありがとうございました。(何のことはない、今のドライブウェイの位地に当初からドライブウェイがあったようだ。S12の地図にもドライブウェイと明記されてる。masaさんが下さった地図もそう書いてあるのだが)

山頂でやのさんと別れたのち、かるおさんと2人してアイスロード*ではない*旧道を探索しがてら下る。確かにそれらしい道跡を発見し、道たる痕跡も見い出したのだけれども、谷底に近づいたところで砂防ダムに突っ込み、消滅。そこから先は延々とダム乗り越えの繰り返しであった。どうなんだろう・・・あれが明治初期の荷車道の成れの果てなのか、それとも別の道なのか。少なくとも下流もダム乗り越えの連続であって荷車道っぽくはない(きっと谷底を行っていたのだろう)。いずれにせよお疲れ様でした>かるおさま 

総じて、関西の低地の廃道のエグさを再認識。もうちっと標高があれば&六甲の風化花崗岩でなければ心から楽しめたのだろうけれど。宿命みたいなものか。

OFF報告は早めに書いてしまおう。しかし神戸首部入手しないと訳がわからないだろうな。前回県図書館へ行った時に取ってきとけば良かった。

[独言] カメラ壊した

出発前、六甲ケーブル駅へ向かう途中でカメラを落としてしまい、電池蓋の残りのツメの一つを折ってしまった・・・。幸いなことにレンズがずれたりといったクリティカルなものではないので続行できた&写真もとりあえず無事。また前回の技を使って修復しなければならない。一日仕事が増えた・・・。

問わず語り。ツメをつけるのは瞬間接着剤よりもエポキシ系(2液を混ぜて使うタイプ)のほうが効果的。瞬間接着剤では隙間から水分が入って錆びていき、その辺からはがれてしまう模様。エポキシ系で隙間なく詰めて固定するのがいいようだ。あと、できるだけ充電池を使うこと。

[ph.] サクラソウ

画像の説明藪々のせい&ホワイトバランス調整し忘れでせっかくの遺構がよくわからない写真になってしまった・・・仕方がないのでサクラソウの写真をおたのしみください。カメラ落としたあとの写真です。リサイズ&シャープネスだけかけてある。

[独言] プリンタのインク

帰りにヨドバシでインクを購入。通販で安くあげるつもりだったのだが喫緊の用で必要になった。おとなしく先行入手しておけば良かった。

それにしてもインクの価格設定はうまいことなってると思う。価格がそれなりにするうえ、2コセットの価格は1コ+半コ分の価格に設定されていて、せっかく買うなら2コセットを・・・と思わせる。しかし2コ買うには財布の中身が足りずorz。どのみち私用用途が多いだろうし>カラー。

リサイクルインクは安くていいのだが、これまでの使用感からするとインク詰まりすることが多いように思う。特に残量が減ってくると。案内状のときはともかくラベル印刷時に掠れられると悲しい思いをする。

本日のツッコミ(全5件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ かるお [nagajisさん、やのさん、お疲れ様&ありがとうございました。 冒頭の写真の頃はまだ平和でしたね・・・。現ドライブウェイに出てからについては、やのさんの見解に同意します。 15%斜度と10m前後..]

_ nagajis [お疲れ様でした、やのさん、かるおさん、そしてTUKAさん。各地OFF日和だったようですね。 やはり最後の尾根越えはなくて、もともとあのラインだったということでしょうか>やのさん。アーチ付近は確かに..]

_ やの [国土変遷アーカイブの1949/03/17米軍撮影の写真USA-R601-21をみると、わたしたちがたどったように、砂防ダムの直前でヘヤピンで折り返し、さらにS字カーブをへて例の暗渠カーブへと至り、..]


2010-04-19 この日を編集

[奇妙なポテンシャル] #163のようなXe

昨晩から

迦陵頻伽

というワードが頻りに口を突いて出て困る。昔の120えん切手の図案である。

ガリョウビンガ。

ガリョウビンガ。

ガリョウビンガ。

ガリョウビンガ。

ガリョウビンガ。

ガリョウビンガ。

ガリョウビンガ。

ガリョウビンガ。

そが何なのかうろ覚えであるものの、ともかくパワーを感じられて、元気になれる。パワースポットならぬパワーワード略してパワードである(オースティンパワーズとは無関係)。アクセントは奈辺にあるのであろう。ga'ryo-bi'ngaのような気もするしgaryo'-bi'ngaのようでもある。個人的には前者のほうが好きだ。

[独言] 提出

4/24に毎日インテシオにて発表。すっかり忘れてて或人に指摘されるまで気づかなかったのだが、実はこの日にテを行なおうかという計画もあった。本の発行は4/26なのだが24日にはすでに刷り上がっていて(当たり前だ)、それを先行販売してみては?という話があったのだ。けれども種々困難のために断念と相成った。今から考えてみれば断念しておいて良かったと思う。

[独言] 寂しい時

逢えないということは寂しいことだが人には人の刻があってそを確保することも必要と思う。何しろ僧職系だからそのへんは悟り済だ、というのは強がりだろうか? 実質的には何もしてさしあげられてないしな。

[企画] G.W.

G.W.は大杉谷!大杉谷!数泊してがっつり探索したい〜。参加者募集中〜。

[奇妙なポテンシャル] #162

画像の説明器用な柵の越え方をする少年。中々できるものではない。あるいはエッシャーの絵の如き騙し絵なのかも知れない。親指にミソがあると見た。

[奇妙なポテンシャル] #161

画像の説明今更ながらこっちのほうがいいように思えて作り直してみたものの、その後で実はロシアと無関係であったことに気づいた。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ とと [諸兄されて漫画な]

_ えも [この地域の作法だとか?]

_ nagajis [おおさかは恐ろしい世界です]


2011-04-19 この日を編集

the-orj.orgは貧弱だからな.困ったことだ.しかも忙しさが抜けねえので対処ができん.やらないかんことはたくさんある.

[橋梁] 大阪.青崩の石橋

画像の説明

以前から気になっていた水越峠の在所にある石橋.ようやく正体が判明した.当初は旧橋でと考えていたが探近土になりそうな塩梅だ.

[橋梁] ついでに

画像の説明広橋小学校で発見した古いトラス橋.校舎の裏を通っている小道から校舎2階に接続する通路の橋.これでも立派な橋である.鋭い人ならおかしいことがわかるはず.これもミニミニな旧橋でやろうかな.

[奇妙なポテンシャル] #233

画像の説明これも広橋峠で発見したもの.いままで見たなかで最も恐ろしい看板である.温見峠道の「落ちたら死ぬ!」も恐ろしいが,より遠まわしにじわじわ苛まれる怖さはそれを上回るのではないか.未来を正しく描ける人だけがこの看板から恩恵を被れるはずである.

しかも設置者が「広はしこども会」.恐ろしいこと限りなしなのである.

[web][ORJ] そら503になるわ...

日に30GBも転送したらテンポりますわな.しかし負荷率は0ptという.一応考えてつくってあるしね.

[独言] もう少し早ければ・・・

廃3に間に合ったのに.残念.画像の説明

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/975734/68

[独言] うむ(トレース10セット)

廃3でやらなくて良かった...これがあのスペースで再現できるわけがない.うえに間に合ったはずがない.


2012-04-19 この日を編集

[独言] 終了

お勤め終了...一つ片付けるのにこんなに疲れるのは「甘え」なんだろうなあとつくづく思うのだが,仕方ない,こなせていれば今頃こんな境遇にはいないのだ.社会不適応者なりに社会に恩返ししているつもりでいる.能無しの批判は甘んじて受ける.受けるが改善する見込みはない.ご了承いただくしかない.

[独言] さて

まだまだ積み残していること多数.週末までに片付くといいが….

[独言] マヨネーズ

「これを食べるにはマヨネーズがぜひとも必要だ」と思って100円ショップで購入してきたら,そのようにして購入し,半分も使い切っていないマヨネーズが既にあることを知った.しかも2本も.愚の骨頂である.無駄遣いである.戒めなければならぬ.

普段の食事でマヨネーズを使うことがない.生野菜は生で食うし,他に使うとしてもカレーやシチュー等の煮物に用いる程度だ.時折妙な食品を作って一人で自爆することがあるけれども,そういうシーンの味付けにも登場することがない.マヨネーズが嫌いなのではない.他に利用する方法を知らないだけなのだ.

この有り余ったマヨネーズをまとめて消費するための何かを開発しなければならぬ.ごはんにかけてオーブンで焼いて偽ドリアとか,そういうものを.<食べ物を粗末にするな

[独言][] 隧道カレー

ダムカレーに対抗すべく「隧道カレー」というものを模索している.といっても,ご飯盛って穴掘って,という程度の発想しか浮かんでいなかった.それが先日,ふとしたことをきっかけに一つの光明たり得る着想を得た.なるほどそうすれば目新しくなるのか.ダムカレーの亜流などと呼ばれる危惧を避けられるのか.

その計画でゆくと野菜>ご飯という比率になってしまいそうなのだが,それもまたありかと考えている.ドイツやオーストリアではじゃがいもが主食というではないか.問題は盛り付けに時間がかかることと,グリーンカレーを用意しなければならないことだ.盛り付けに関しては諦めるとしても,グリーンカレーは非常な難関だ.アイガー北壁にも匹敵する高い壁だ.グリーンカレーペーストなんてどこで購えばよいのか.そもそもそんな高価そうなものを使ってよいのか(自分しか食わないもののために).カレー神に対する冒涜ではないか.そのあたりの葛藤に現在苛まれている.

少なくともフードプロセッサーなどという文明の利器を持たない私にとっては迂闊に手を出せない存在だ>グリーンカレー.仮に擂り鉢+擂粉木で挑んだとしても敗北するのは目に見えている(摩擦ですりおろすとほうれん草の色が出ないに違いない.青唐辛子およびピーマンはまだ何とかなるにしても).

おとなしく普通のルーで作ったほうがよいのかも知れない.そのほうが,まかり間違ってどこかで採用されてしまった時にも困らないだろう.

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ 高橋ま [マヨネーズは、もともと酢、油、卵なので、炒め物の調味料になります。また卵と混ぜあわせてから炒り卵を作ると、味付きでややコクありの炒り卵になります。パンに塗って焼いたり、グラタン、ドリア的なものに使..]

_ nagajis [ご助言ありがとうございます。カレーのほうは緑色であれば何でもいいので(そうか?)それっぽいので誤魔化すほうが早いかも知れません。]


2013-04-19 この日を編集

[独言] 覚えた

覚書のメモは前日に書くとトップがすっきりする.

[独言][近代デジタルライブラリー][煉瓦] メモ整理

近デジでへろへろバラバラ辿っておいた大阪近辺の煉瓦工場・耐火煉瓦工場。そろそろ収拾がつかなくなる頃なので整理しようと思い立った。今までのメモを再確認してざっくり一覧にしたのが昨日のデータ。例によって可読性は考慮していない(あとで検索するためのものなので)。

大阪にかつて存在した煉瓦工場については泉南市埋蔵文化財センター紀要によいまとめがあるのだけれども、成果に頼ってばかりじゃどうかと思うし、耐火煉瓦の工場が抜けている。一度この目で確認してみたくもあった。結果、

  • いくつかの刻印を同定
  • 京都,和歌山には大きな工場が皆無(奈良県以下)
  • 大正半ばに高砂市域に多数の煉瓦工場が勃興・消失
  • 商標大全は全然あてにならない

ことを学んだ.やって無駄なことはないのである。今回は特にそう感じた。 商工録は昭和10年以降のもチェックしておくべきだな。それから大阪府下商工業者一覧(だったか)も。

商標大全が役に立たないのは、後半になるにつれて「商標ゴロ」的な登録というか「商標だけ登録」というかな例がずいぶん多くなってくるからだ。仁丹や明治屋が土木材料なわけがないだろ。会社が登録したものは(恐らく製品になっただろーから)リストに加える価値があるかも知れないが、実在/非実在を確認できていないし、それを煉瓦に刻印したとも限らない。製々舎とか三石耐火煉瓦とか実例があるものはいいんだけどな。そうそう、登録前にもその徽章を使っていた可能性は高いので(製々舎のはハンター邸の暖炉に使われていた)必ずしも商標登録年が製造年の目安になるわけでもない。岸和田の×印だって明治30年代だったかに登録されている。

会社によって煉瓦サイズを作り分けていた可能性。大阪窯業は東京型とわざわざ明記している年度がある。その時津守煉瓦は東京型及並型だった。

高砂の煉瓦工場は高砂線と関係があるのだろか。開通の2、3年後にどかっと生まれている感じがする。鉄道建設のために直営で作られた窯を払い下げてもらって起業したんだろか。大和煉瓦も小島煉瓦もそんな感じだ。

[独言][煉瓦] ヒストリア

残念ながら思ったほど有益なものではなかった・・・(偉そうな).煉瓦会社と刻印のマッチングがビシバシ決まってくれるもんだとばかり思っていたのだが、そのへんはいかにも学術学会誌らしく慎重だ。堺煉瓦さえ推定にされてる。確かに「煉瓦刻印集成」は根拠を示してないけれども。

「煉瓦の製造年を推定する」ことに主眼が置かれている感じ。その煉瓦が明治初期なのか後期なのかみたいな。そのへんも考古学的かも知れない。刻印だってそれだけじゃ判断基準にならないものなー。そもそも会社がわかったとことで何になるわけでもないか。

堺煉瓦については18日に送り込んだ「大日本商工録」のいちばん古いやつにもちゃんと出ている.ついでに日本窯業のも裏が取れた>商工録.目次もない全1000ページの中から大阪府の煉瓦製造業を探し出すのは大変だったがその分収穫はあったのだった。できればこれを全都道府県やってみたいものだがなかなか泣けることになるだろう。そうしてどの都道府県にもあるとは限らない。試しに栃木県を見たがシモレンすら出てこなかった(大正末期には衰退してたっけか?)。

煉瓦の平の面に筋が入ることはうすうす気づいていたけれども,改めて指摘されると確かに特有の特徴なのかも知れない。どうしてあの型がつくのか考えながら梅田地下街を歩いてみたが答えは出なかった。表面を整える板の取手がぶつかるんかなあと思ったりしたが。あと長手の面に弓状痕が出ることや,焼くときの井桁の組み方で違う型がつくことなどはさすが考古学的考察だと思った.それが即メーカーと繋がるものかどうかはわからない(c.f.近江八幡のホフマン窯)

奈良県には大阪窯業や岸和田煉瓦も分布しているらしい。しかし自分の感触では非常に少ないように思う。入っていないはずはないので nagajisが見てるところがおかしのだろう。なお大和煉瓦の刻印と同じものを、淡路島津名郡の煉瓦製造所が屋号に使ってた。まさか混じることはないだろうがメモしておく。あと以前大全で拾ってきたやつは修正する必要があるした。

[独言] 伊丹市大鹿

ロングソックスを入手しにゆくついでに、伊丹煉瓦製造所があったという大鹿(おおじか)へ行ってみた。現地に行くと旧西国街道の説明看板が多数あり、煉瓦壁を発見したり古めの煉瓦が転がっているのを見かけたりもしたけれども、松葉菱にイの刻印は見つけられなかった。伊丹だからイっていうのは短絡的過ぎたかも知れない。ヤマサだってサに山印なのだからな。

煉瓦壁が残っていたのは大鹿1丁目で、そこを中心とする一帯に煉瓦転石や縁石がよく見られた気がする。この辺りには新しい煉瓦を使った花壇なんかも目につく。それはちょうど、岡町住宅地で新煉瓦を使ったポーチや門柱をよく見るのと同じ感じだ。古くから煉瓦の建物(煉瓦製構造物、煉瓦製造所)があったところはどこもそうなのかも知れない。触発されて煉瓦を使う気になったものの、参考にした煉瓦構造物がなくなってしまって新煉瓦構造物ばかりが残っているという。

この間西九条を歩いた時も特に煉瓦が多かった。ここには刻印入りの煉瓦も多い。長屋の勝手道に入り込むとそこここに刻印煉瓦がある。構造物としてよりも、植木鉢の土台だとか敷石縁石転石だとかに多かったような。そういう煉瓦のほうがひっくり返して確認できていい。


2015-04-19 この日を編集

[ph.] neko

画像の説明

道端のソファでくつろいでいた猫。最近とんと猫成分が欠如している。


2017-04-19 この日を編集

[独言] いつまでも

Googleマップがトップにあると重くてかなわん。


2018-04-19 この日を編集

[古レール] 熔鋼番号(製鋼番号)

福知山線の古レールの件、早く片付けてしまいたいのは山々なのだが、日曜日しか入れないラストの一区間が残っているため手がつけられないでいる。そうこうしているうちにTさんから膨大な量の資料を頂いてしまい、それを読み始めたらますます完成が遠のいてしまいそうな塩梅だ。知りたくて知り得なかったアレヤコレヤのマル秘情報が満載で、踏み込んだが最後戻って来れなくなりそうでもある。恐ろしいことである。

そんな資料から得た知識をひとつ。レールには製造者や製造年だけでなく「熔鋼番号画像の説明(製鋼番号)」と呼ばれる文字列も刻印されている。その会社のどの溶鉱炉で製造したインゴットから作ったのか、そのインゴットを転圧してレールの形にした後裁断するわけだがその裁断の何番目のものなのかがわかるようにしている。ロット番号みたいな役割の文字列である。

福知山線柵はほとんど塗装がなされていないお陰で右写真のような陰刻英数字列を見ることがある。これって何だろうと思っていたら、これが熔鋼番号なのだった。駅舎のレールは分厚いペンキに埋もれて見えないことが多いはず。

熔鋼番号の表記法は会社によって違ったようで、例えば八幡製鉄所なら「M12345」とか「2S291841」とかいうパターン。末尾5桁はその年・その炉の第n番目の製造インゴットから作ったことを示し、頭のアルファベットは製造工場を示す(M:第一工場、S:第二工場、T:第三工場、K:第四工場)。さらに頭に数字がつく場合は第m番目の切断レールである。最初の一本には数字がつかない。1インゴットから大体3本くらいのレールがとれ、熔鋼番号は各レールの先頭から1mくらいのところに押されていたそうである。

写真のレールは「M75784」と読める陰刻があり、それ以外に刻印を確認することができなかった。しかしこの熔鋼番号のお陰で八幡製鉄所第一工場の炉でその年75784番目に製造したインゴットから取られた1本目ということがわかる。面白い。

カーネギーは下3桁がn番目に溶鉱炉から出たことを、頭の1or2文字の数字が溶鉱炉の番号を示す。S15頃には溶鉱炉(平炉)が16基あったので1-16の数字で始まることになるが、3は転炉にあてがわれていて下の数字も4桁であったらしい。末尾にはアルファベットのA〜F、これが第n番目の切断を示す。 (「線路軌範上」p.115-116)


2020-04-19 この日を編集

[独言] 不要不急の概出

煉瓦建築リストを作っていてちと気になったので、天満紡績の周辺に出かけてみた。いろいろ思い違いをしていることを発見した。

画像の説明

明治41年測図1:20,000地形図「大阪東北部」。赤のところが天満紡績で、明治21年に操業を始めた。府下では大阪紡績に次ぐくらいの古さ。

その南側にある工場は「分銅会社」という表記があって、調べてみると「大阪電気分銅株式会社」という工場であった。電気分解で銅の精錬をやった工場。明治26年4月に創業していて、工場もだいたいその頃に作られているだろう。この工場は後に「日本伸銅株式会社」が使用したらしく(大正元年創業)、大阪電気分銅からこの会社に変態したのかも知れない。S4測量図でも「伸銅会社」になっている。

中西金属工業の煉瓦建物がある辺りは「織物工場」とある。これは「 天満織物株式会社」といって、明治20年に設立された京都綿糸織物→明治23年(有)天満織物→明治26年天満織物(株)と改称を重ねて図葉に至っている。当初は本社もここにあったようだ(のちに北浜に移転し、工場は「城北工場」と呼ばれた)。明治45年に鈴木商店の出資で同社の系列会社となる。(以上鈴木商店資料館HP)

画像の説明 大阪電気分銅の敷地は煉瓦塀記号で囲まれていて、今でも西側の一角が残っている。商店街の端の飲み屋街の通りに埃と違法駐輪に埋もれてある壁がそれのはずだ。

画像の説明NKC中西金属工業のほうは、この角度から撮った写真が『日本商工大家集』にある。手前の建物が取り壊され、その屋根の形が残存建屋に刻まれている。

画像の説明 んで、南側の繰出の裏に堺煉瓦刻印。中央にカナがあるタイプなので、明治26年改名からさほど間を置かずに建てられたものだろうと思う。ただし煉瓦は東京形で、そんなに早く東京形が普及していたようには思われない。30年代までずれ込むかもしれない。

今までずっと、これら煉瓦残存物がすべて天満紡績の遺構だと思っていた。そうではない。ちゃんと自分のアタマで考えんとイカンなと思った次第。

今回改めて天満紡績の敷地も歩き回ってみたけれど、煉瓦のひとつも見つけられなかった。毛馬の干潟に転がっていた煉瓦、案外ここが出処だったりしてね。


2024-04-19 この日を編集


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