nagajisの日不定記。
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t/o.贅沢な味わいである.
大阪市立図書館は思わぬ稀覯本が蔵されてて吃驚させられる.稀覯本といってもnagajis的に価値があるというだけなのだが,この本なんかは特にそう.堀威夫が土木学会功績賞を受賞した年に記念に行なわれたという対談の記録だ.国立国会図書館はおろかOPACにさえない.大阪市立図書館にしか存在しない.交通科学博物館の南和鉄道史の如きもの.知りたかったこと色々がさりげなく書かれてあって久しぶりにカタルシスを得た気分になった.
―技人一如― 序にかえて
「君子は器ならず」といふ。一技一藝の達人は、立派な人格を備えてゐなければならぬ。技術者が如何なる精功な道具をもっても置き代える事の出来ない人間としての価値が茲にあるのだ。
一技一藝に秀れる事もなかなか難しいが、人間として完きを得ることは愈々至難の業である。
専門的素養と道徳的人格とを切り離しては、達人の資格は成り立たない。自らの立場を、正しく理解して全体の理想に向って綜合的効果をあげる様に行動することは、人間のモラル、キャラクターに據るのである。
技術の作品は作者の創作である。創作だから進歩がある。創作は作者の人格の顕現である。
「礼を知らざれば立つことなき也」と云ふ。礼を知る事は他との調和を知る事である。調和を知るためには正しく全体を見なければならぬ。正しく全体を見て他との調和する事を知らずして自分の立場のわからう筈がない。調和といふのは、他を食わず自分も食はれずの事である。礼を知るのが人格である。茲に「技人一如」の境地があるのだ。
斯くて技術者の行動への信念は、彼の素養と人格とに根ざすことを自覚すべきである。
凝っては百錬の鉄となり発しては万朶の桜となるのは偶然ではない。何者にも畏怖せしめられず、何者にも歪曲を許さぬ正に堂々の信念である。技術の結論に妥協は許されぬ。即ち素養と人格の顕現である。
練達の素養、完璧の人格は技術者の人生にとって最高至難の目標だから、常往坐臥、不断の反省と真摯な修養とが要る。これは終生の問題であり、終生反省と修養とに情熱と謙遜とを怠ることは出来ない。棺を蓋ふに至って、なほ円熟に遥かなるが一般である。況んや、幾莫かの処世経歴は、技にしては一知半解、人にしては未熟半成。然るにも拘はらず、兎角慢心に堕することは、心すべきである。敢て巻頭を汚す所以である。
附記
本文は凡そ40年前に(私にとっては大正12年以来の敬友である)中川辰夫君に添削して貰った事がある。勿論茲にある文章の通りではない、同じ趣旨の文章は何処かで幾度か活字になってゐるかもしれないといふことを附記しておき度い。中川君はあらためて紹介する迄もなく土木学会では忘れてはならぬ功績者である。
東熊野街道でお世話になった石本伊三郎先生から御礼状が届いた。自筆の葉書を頂くとめったにないことで嬉しくなると同時に身が引き締まる思いがする。今も古文書整理に勤しんでおられるようでなによりだー。
24日に片付けてから綺麗な状態を保てている。こまめにゴミ拾ったり皿洗ったり本棚から出した本を片付けたり。ここに書いて驚いてみたくなる程度に珍しいことである。これまでの人生に於て初の出来事である。この調子できれいなまま年末を迎えてみたいものだ。さて持つやら。