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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2009-08-27 都合が悪くなると隠れるよな>nagajis この日を編集

というわけで謹慎中。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ nagajis [「かべのなかにいる!」]

_ とと [「11人いる!」]

_ ほわちゃん [ととちゃん、それって時代が違い過ぎ・・あ、ごめんね。]


2010-08-27 この日を編集

[独言] うし!

イカレキーボードから基盤シートを奪って壊れたキーボードのと取り替えたった。そやねんこのタッチヤネン。

嬉しくなっててけてけ打ってみる。てけててけ。前のキーボードがおかしかったのは白ProKeyboardに黒のキートップを移植したやつだったからだろう。白+白のiMacキーボードはまともなのだ。プラが合わないとだめなのだきっと。

ProKeyboardの分解は大変だ。ネジを何十本と外さなあかん。しかもちょっとでも合わないプラスドライバーだとすぐになめてしまう。2台分解したら指が痛くなった。

直しついでに掃除とグリスアップ。ますますタッチがよくなった。このフニャフニャ感がよいのだ。が何故かNが渋くなってないか。ここだけゴムがかたい感じ。

[独言][web] 目がショボショボするよ!!

2回目。12ptでプログラム書くからだ。右目の劣化がひどく眼鏡をかけてもしかめ面せねばならない。先が思い遣られる。そもそもレンズに傷入ったままだ。これも早く新調したいが。

写真集の販売サイトをでっちあげてみた。core.the-orj.orgからpaypal経由で購入するのは実はまだ出来上がってなかったりする。これまで上手くいっていたのはwww.the-orj.orgにデータを置きっぱなしにしてたから。core>paypal>www>coreでcoreから落とせるように変更してみた(写真集だけね)。販売と実運用はもう少し先だ。

そのうちcoreからバックナンバーを買えるようにして負荷分散もどきをしたい。ライブラリとトップの更新はcron回してftpればいいだろ。つーことでテスト済。しかし現状ではheadlineとコメントが空欄になる。こいつらもftpってもいいがwwwとは違うindexにするという手もあるのだよな。似たページがいくつもあるのはメンテ上よくないしなー。

移行に伴う問題点。更新用プログラムによるindex.phpやら何やらのコピーがサーバ間コピーになる。ライブラリもcronコピーとはいえそうしょっちゅうできるもんじゃないからタイムラグが生じる。このへんは緊急性に応じて2鯖変更すればいいか・・・。enqueteはwwwに集約すればよい。index.php自体は実はすでにどちらでも使えるよう改造してある。

動画のredirectはうまくいってるだろうか?過去のは一度チェックしないといかんな。

基本は.htaccessのredirectで済ませたい・・・。記事で解体は結局誰も利用してないみたいなんでステでもいいが、history_p.php辺りからのジャンプはredirectだけで処理できるだろうか?クエリもちゃんとリダイレクトされるんだっけか?

そか、[QSA]か。

それよりgetimagesizeがうまく働かない序。サイズもdbに放り込むか・・・

以前ほどわしわし変更できなくなってきたな・・・。目がショボショボするし、すぐ根気が尽きるし、動いてるのを触るのも怖い。いやそれは原因じゃねえな、結果だ。

[奇妙なポテンシャル] #189

昔話を作ってみたくなった。

昔昔のことや。ある所に地素男ちゅう生き物がおってな、なんやこう、棒のような記号のような、そりゃあけったいな生き物やったそうや。

村の子供もな、「やーいやーい棒人間ー」ゆうてはやし立ててな、石投げたりしていじめとったそうや。そりゃあそうやわな、そんな変な生き物がムラにはいってきよったら、気になってしゃあないわな。大人もずいぶん棒でしばいたり矢で射たり高床式倉庫立てたりしていじめたそうや。地素男はいっつも泣いて帰ったそうや。

せやけど地素男も生き物やさかい、ひとりでおると寂しいんやろな、やっぱりムラに来よってんて。口半開きにして、物欲しげーな顔して、ムラの隅っこに立っててんて。それ見るとやっぱり石を投げたくなるわな。首輪つけて引っ張ってみたりしたくなるわな。な。それが人間ちゅうもんやろ。他のやつもやっとったしな。

昔こっぽり泥鰌の目。

書いてて何だか哀しくなってきた。だから人間は嫌いだ。

いつも叱られる「みたような」は島根県邑智郡の方言。山陰道か伯耆街道を通って兵庫にも流れてきたんだろう。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ traffic [その2日後の夜、地素男は学生服にゲートル巻きの地下足袋姿、頭には懐中電灯2本を装備して、燃やされた臼の灰を村中にばらまくんですよね。知ってますその話し]


2014-08-27 この日を編集

[] 堀晃『梅田地下オデッセイ』

ねんがん叶って入手。一気に読んでしまったが後悔はない。

改めてハードなSFだったことを認識。こんなんカッペの中学生が人生最初に読むべきもんじゃないよ。読んでわかるわけがねえ。そら中身覚えてへんわ梅田地下オデッセイ以外は。

そういえば『夏への扉』も先生に貰ったのだっけ……。これは有名所だからそのうちまた入荷することもあるだろさ。でもこれは何度も読んだんで覚えている。むしろ広瀬正の『タイムマシンの作り方』とか読みたい。


2018-08-27 この日を編集

[古レール] →〄 30 A 2048 GODO 1995 IIIIIIIIII

画像の説明

長浜駅の北陸線電化記念館のレール。えっ、未来製? と思ってしまったがこれがセクションナンバーであるようだ。合同製鐵1995年11月製レール。JISマークのところだけほしい。

これくらいのものになると「古レール」とは言えないかも知らん、と思ってみたりする。記念館のために持ち込んだ新品であるようだし。

[古レール] OUGREE 60lbs ASCE (.*?) 1923

画像の説明

彦根駅の1番ホームの端っこに残っている旧屋根に。ベルギー・ウグレー社のレール。これも1923年製だそうで、この頃ヨーロッパから大量に入ってきた激安品の一つであった。福知山線柵では見られないメーカーである。判読不能の個所はドットで製造月が示されているそうだ。

[] 柳ヶ瀬隧道扁額

画像の説明

これも記念館庭に移されているやつ。実物。隧道建設の由来記が刻まれている。逢坂山隧道もそうだったが扁額にこんな細かな文字を刻んでも誰も読めなかっただろう。それでも掲げであったところに昔の人の感覚が読み取れて面白い。曰く「読まれるかどうかは問題に非ず。在ることに意味がある(記録記念することに意味がある)」。あからさまに誇るものではないところに奥床しさを感じる。


2019-08-27 この日を編集

[][煉瓦工場] M30パンデミックの泡沫(日の出煉瓦編)

●明治三十年十一月一日商事会社登記済に付其事項を左に公告す 大阪区裁判所
○社名 日の出煉瓦株式会社 ○営業所 大阪市南区難波大字難波字小田千百十番 ○会社の種類 株式会社本店 ○目的 煉瓦の製造及販売 ○設立免許 明治三十年七月八日 ○開業 明治三十年十一月一日 ○存立時期 設立免許の日より向う拾ヶ年 (略)○社員の氏名住所(略)大阪市東区平野町一丁目佐藤洋二(略)(大阪毎日M30.11.7.)

購買広告
一 大阪市南区難波字小田千百十番地
一製煉瓦 三拾万個以上 一半製品 一石炭 一原土 一建物 三棟 一船 一艘 一什器雑品
右売却候間望ノ方は実地並に入札心得書、契約書類等熟覧の上来る三月二日正午十二時限入札保證金相添え入札相成度同日午後三時開札す
大阪市東区平野町一丁目百三番地
元日の出煉瓦株式会社精算事務所(大阪毎日M31.2.14

いうまでもないことだが強調筆者。摂津煉瓦は製造までしてなかっただけマシだったのかも知れない。この30万個はいったいどこへ行きどう消費されたんだろう。刻印は押されていたんだろうか。考えただけで眠くなる。

そうして難波小田町1110にはT1に製々社が入るんだぜ(当初は1109に藤本耐火煉瓦及坩堝製造所。T2に1110番地の工場が加わる)。清々するぜ。

[独言] M30読了

耐えて耐えてM30を読み終わる。全面マジ読みしたので心残りはない。多少見逃しはあるかも知れないがそれは多分縁がなかったんだろう。

M31は3面経済欄と4~8面の広告だけに絞って2月迄。株主総会の頃には時々10面になるので気を抜けない。結構斜め読みだったはずなのに日の出煉瓦の購買広告を見つけたのは我ながらゴッドハンドだと思う。この広告の中に「煉瓦」の文字はたった2箇所、しかも五号活字でなんだぜ。

↑は、さきに大阪丸三耐火が解散しての購買広告があったから気づいたのだった。M31初頭に解散。大阪丸三はただちに○三耐火になって、筧耐火・○三筧の筧フデになる。うんこれこそピアジェ。

[独言][煉瓦] 耐火煉瓦のサイズ

思いがけぬ問い合わせがあり朧げな記憶で返答したので改めてべんきょうし直してみる。

耐火煉瓦も煉瓦と同様定形寸法が存在しなかった。明治20年代くらいまでは外国から輸入するばかりで国内生産はずいぶん遅れてる(作れてもまともな耐火度のではなかった)。その間どんなサイズが使われてたかとかんがえると、やっぱり最大輸入元のイギリス流の寸法だったろうと思う。

大正末のJES制定で耐火煉瓦並型の寸法が215×115×65mmと決められた。なんでこのサイズになったかはよくわからないが(JES制定前の議論をまとめた本があった気がするんだが、あるいは大日本窯業協会雑誌の赤煉瓦のソレと勘違いしているかも知れぬ。このサイズだと平敷できぬ。小端積みで15mmの目地?深山砲台の窯の内面を思い出しつつ)、ともかくこれが不評で、戦時中の昭和15年6月18日に臨時JESとして新サイズが決められている。230×114×65mm。目地厚2mmで平敷するのを主眼に置いてるはず。してこのサイズが戦後のJISでも採用されて現在に至る。

竹内清和『耐火煉瓦の歴史』を読んでいるとJES制定以前の話が出ていた。p.98。

並型の寸法は一様でなく海軍では英国型、瓦斯会社方面では3吋英国型で、通常は東京形が多く、珪石煉瓦は大抵英国型である。
 主な並型の寸法は
東京型7.5×3.6×2(寸)〔227×109×60(mm)=東京型赤煉瓦と同サイズ〕
英国型9×4.5×2.5(吋)〔228.6×114.3×64.5(mm)〕
3吋英国型9×4.5×3(吋)〔228.6×114.3×76.2(mm)〕
純独逸型240×120×70(粍)
独逸式東京型230×110×60(粍)〔東京型赤煉瓦とほぼ同サイズ〕

(出典:高良義郎「耐火物の工業規格についての覚書」(『耐火材料』No.53 昭和25年4月)

これが大正13年3月27日にJES第10号「耐火煉瓦」で215×115×65mm。戦時の臨時JESは臨時JIS第99号(『耐火物年鑑』第4巻(昭和18年))で230×114×65mm。

赤煉瓦で東京型や並型などに分類しづらい中途半端なサイズのはこの耐火煉瓦サイズに準じたサイズであったかも知れぬ。そもそもその耐火煉瓦サイズは諸外国の赤煉瓦サイズに影響されているはずで、その寸法が後述大熊喜邦の報文にあるのだが、けっこうな分量があるのでめんどくさくて書けない。

[独言][煉瓦] 赤煉瓦のサイズ

ついでに赤煉瓦も。JES制定のための予備調査の報告が大日本窯業協会雑誌No.358(T11.6.)にある。大熊喜邦の報文。もとは建築雑誌T10.7.号に掲載されたもの。この中で赤煉瓦210×100×60というサイズが決まった流れが書かれている。曰く

(ハ)在来煉瓦寸法の更新 煉瓦の寸法は在来に於て略一定され居る様であるが※1、今日に於て其品等と共に寸法を規定する規格を極めて置かなければ将来乱雑になる恐れがある。而して現在の寸法を改めるに関して何を目標して考えなければならぬかといえば(一)現在の寸法より大きくすることは焼成不充分の点。取扱上の不便の点から不利益であることは一般の認むる所である。(二)現在の煉瓦の幅三寸六分は、本邦の煉瓦職工殊に手伝女人夫が取扱う上から見て少しく広過ぎ今少しく縮小する事を必要とする。現在に於ては前に掲げた表(njis注:某工場で作られた製品の実測寸法の表)から見ても正三寸六分のものは少く大抵縮小されて居る為めに大なる不便を感じて居らぬが三寸六分より小さくなる事は取扱上慥かに利益である。(三)現存の煉瓦の厚二寸は焼成の点から見て適当である。これを薄くするときは曲りを生じ、これを厚くするときは焼度不充分となり又は割れを生ずることは試製の結果からでも明瞭である。(四)煉瓦の寸法を定むるに、「メートル」法の実施を目前に見て、在来の日本尺を用いるのは徒らに複雑となる計であるから、「メートル」法に依り寸法に端数を付けない様にすることが将来の利益で且便利である。

※T1.10.小林作平「普通煉瓦業に就て」には、大正10年度の調査の結果として「現今では殆ど東京型と称しまして(略)其の他の形のものも少しは有る様でありますが極めて少ない様であります」と述べてる。その前年くらいに煉瓦生産数はピークを迎え、下降していくころの話。

それで幅を狭くする&端数を出さないという点から幅10cmが決まり、そこから目地厚さ1cmとして長21cmが決まり、厚2寸の端数を捨てて6cmとなる。2寸でないと曲がるというのは東京の土を念頭に置いてると思う。関西の土では1.8寸でもちゃんと焼けている。

この中で「手伝女人夫」の手の大きさを基準にしているのは注目すべき。煉瓦製造業に女性の参与子供の参与が多かったのは事実で、『北海道庁統計書. 第28囘 第2巻』(T5)など年齢ごとに職工数を計数している資料を見るよろし。男女数だけなら『工場通覧』でもわかる。しかし不思議なことに耐火煉瓦工場では女性の参与が少なかった。少なくとも大阪では。『煉瓦女工』は耐火煉瓦工場で働く女性の話なんだけどなー。

んで、この報文には旧来サイズの表、諸外国のサイズの表が掲げられているが、大高庄右衛門「煉瓦の形状に就て」(『大日本窯業協会雑誌』No.159、明治38年(1905))の寸法と若干違ったりする。上段は喜邦リスト、下段は大高リストの数値。

名称長(寸)〔cm〕幅(寸)〔cm〕厚(寸)〔cm〕
旧山陽形7.5〔22.7〕3.6〔10.9〕2.2〔6.7〕
(山陽形)7.5〔22.7〕3.55〔10.7〕2.3〔6.97〕
山陽並型7.3〔22.1〕3.5〔10.6〕1.7〔5.15〕
(山陽新形)7.2〔21.8〕3.45〔10.45〕1.7〔5.15〕
鉄道並形7.5〔22.7〕3.6〔10.9〕1.8〔5.43〕
(作業局形)7.5〔22.7〕3.6〔10.9〕1.85〔5.6〕
在来型7.5〔22.7〕3.6〔10.9〕2.0〔6.05〕
(東京形)7.5〔22.7〕3.6〔10.9〕2.0〔6.06〕

スペースの都合で厘を略したのかも知れないけれど、1分違ったりするとやっぱり違って見えるなあ。とはいえ実製品では長さで4分、幅で2分5厘、厚さで1分5厘強以内の寸法の相違はあった(喜邦報文)し、規格の観念が希薄だったから上記数字がどんだけ効力を持つものなのかは定かならず。

少なくともこの頃には「並型」が省略されてしまうほどに衰退してた。大高もM39に東京型に統一しようと呼びかけてたのだし。


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