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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-09-21 この日を編集

[陸幼日記]九月二十一日 日曜日 曇

五時十分起床四十分食事、六時二十分服装検査あり、ニュース会館にて八時より「勝利の歴史」を見学したり。面白からざりしなり。偕行社に昼食し帯山練兵場にて飛行機の飛び争いを見たり。日食は十三時四十九分食尽。七十四%なりき。見る事を得たり。愉快にすごす。


1942-09-21 この日を編集

[陸幼日記]九月二十一日 月 雨

校長兵器検査のため五時起床直に、雨天の為自習室の机の配置をなし配列し学科出場までに手入をなす。九時より検査行われたり。午後は柔道(高内股)及び作業(断面図の画き方)あり。
寝室学友団 北より二番目の寝室の者が予の団にて、一・二・三年計十六名なり。二十七日野営に行くを約す。
愉快なる日なるもそれに負け怠りがちなり。自習時間中極めて物音多し。思うに、二訓の者の悪欠点は友情に溺れ相手の感じを悪くさせぬが為に切磋をなさぬなり。〔欄外朱:「大乗」〕昨日寝室にて柿を蝕み生徒監殿の注意を受く。誠に言行不一致。残念の語の他になし。


1943-09-21 鍾馗、呑龍、百偵 この日を編集

[陸幼日記]九月二十一日 火 晴

今日は晴なるも土曜日の如く夏らしさを感ぜず誠に天高く感じたる秋日和なり。日がぽかヽさす中に日光浴をなしたき感なり。神社掃除にして朝の時間少し。午後は訓話・銃剣術・体操。随意運動の利用不可と校長閣下御注意あり。短時間に誠意込めて行うべし。随意の時間に体操なし得ず残念なり。腕が鳴る。今日は実に体の調子良く何を行うも可能なりと思われたり。晴天下随意運動終りたりとてみすヽ舎内に入るは予の最も残念とする所なり。良好。
昨日は航空記念日にして陸軍新鋭機の発表あり。即ち戦闘機「鍾馗」・重爆撃機「呑龍」百式司貞〔偵〕なり。愈〃航空決戦の時となる。


2008-09-21 作業報告 この日を編集

[ORJ] the-orj.orgからhotmai.comに送れない

hotmail.comで登録された方から立て続けに「登録メールが届かない」というご指摘。先日の29号修正の時もhotmail.com宛がバラバラ戻ってきていた。エラーで戻ってくればnagajisの個人アドレスからお送りし直せるのだが、エラーなしで消えてしまうものもあって、どうにもこうにもな状況だ…。

これは利用しているレンタルサーバとhotmailとの間の相性?の問題らしく、こちらでは対処のしようがないらしい。エラーで戻ってきた分にはこんなことが書かれている。


Hi. This is the qmail-send program at s23.coreserver.jp.
I'm afraid I wasn't able to deliver your message to the following addresses.
This is a permanent error; I've given up. Sorry it didn't work out.

<xxxx@hotmail.com>:
Connected to 65.54.244.8 but sender was rejected.
Remote host said: 550 SC-001 Mail rejected by Windows Live Hotmail for policy
reasons. Reasons for rejection may be related to content with spam-like
characteristics or IP/domain reputation problems. If you are not an email/network
admin please contact your E-mail/Internet Service Provider for help. Email/network
admins, please visit http://postmaster.live.com for email delivery information and
support

ようはこちらから送るメールがスパムと判定されてハネられている、ということ

1.スパムライクな文面

2.(the-orj.orgサーバの)IP/domainがブラック認定されている

と届かない(かも知れない。may be relatedって何だオイ(汗 )

1.については実際にhotmailのメアドを取って、ごく普通の文面のメールをながじす@the-orj.orgから送ってみたが、エラーメールさえ戻って来なかった。ocnからは送れるんだがな・・・。

2.についてはrbl.jpで確認したがサーバのIPもthe-orj.orgもシロだった。

だいいちhotmailがどういう基準でスパム判定したり拒否したりしているのか公開されていない(当たり前っちゃ当たり前だが)んで対処しようがない。困った。

使っているレンタルサーバのサポート掲示板を見てみたが、ずいぶん以前からこういう状況が頻発しているらしい。突然エラーで突っ返されたり、いつのまにか直ったり。webmasterも半分匙を投げてる気味。もともとサポートが期待できないところだしな。

とりあえずDNSのtxtレコードを書けという記述があったのでそれに従ってみた。試しに送ってみたが今の所まだ到着せず。少し待ってみる。(書き方が間違ってるかも知れない。良く分ってないしな>DNS)

うーん・・・数行だけのテストメール(hotmail→the-orj.orgのRe:)は届いたようだが・・・。それ以外が届かないという罠。どないなっとんねん!(怒

[廃道本] おかわり・・・

また・・・仕事ができた・・・。


2009-09-21 あ、 この日を編集

[独言] 先行事例発見

この部録"と豪雪地帯の“家のしるし”って同じだよね。

鈴木牧之の「北越雪譜」だったと思うけど、当時この地方はものすごく雪が深くて、家の棟さえ埋もれてしまうほどだったとか。なので一冬を家の中で過さねばならないこともあった。そこで雪の季節になる前に、屋根に高ーい竿を立ててその先に「家のしるし」をつけといて、雪が降った時の備えにしたとか何とか。

何の備えかっていうと、道行く人に「この下に家があります」ってことを知らせる準備で、それは掘り出してもらおうとかそういうのではなく、印を出しておくことで「ああ今道行く人に「この下に家があるんだ」と思ってもらえてるかも知れない」と思うことを一冬の慰みにするためだったそうな。

寂しいッちゃあ寂しい発想なんだろうけれども、人というものの本質をついてると思う。結局人は1人では生きていけないのよ。うさぎは寂しいと死んじゃうのよ(違。

それに気づいてしまった今、その真反対に進む方策を考え中。人でなしは人と同じことはしたくないのさ。というより先行事例に敬意を表して別のことしなきゃなあと思う。というわけでツッコミ大歓迎。あなたも雪の下の人と交信しませんか(謎。しかも返事が返ってくるとは限りません(非道。何しろ今日から留守に島寸で。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ とと [いやいや。その野望はなかなか、どころか“絶対に成就しない”に、600モナコ。万一負けたら酒おごります。しかも安酒。]

_ nagajis [むしろ焼酎でお願いします]


2010-09-21 この日を編集

[独言] FinePix X100

こ、これがフジの答えか!
しかしセンサーは普通なのな。

[独言] 違い

画像の説明画像の説明8年間の差。ほとんど違いはないがこの構図に対する私の認識はすっかり変わった。100年前はもっと違う光景だったろう。

[独言] 遣らず…

t/o

下ゲ猫ェ…

これは…嬉しくないぞ! 度量衡換算表よりも役に立たないぞ! 素敵!索敵!素数!

[D] うなされた

寮生活をしながら廃道で飯を食っている状況にある(「何故か」をつけようと思ったが夢なんていつもそうだからやめておく)。寮生同士のつきあいが疎かになっていることに対して批難され、寮イチの論客である某先輩に説得されるというか難詰されるとというか、ともかくそういった感じの状況下に置かれる。周りはみな敵であり四面楚歌そのものの状況。しかも解決の途はない。例えば寮を出てとか廃道を捨てて何とかとかいう次元の話ではないのだ。ただ状況を難詰され虐げられるだけの論戦だ。(実際にそういう場面を経験したわけでも、そんな場があったわけでもないのだが・・・>高校時代。あ、会社ではあったかも知れない)

それがいつのまにか、彼女がいることにまで波及し、難詰モードがさらにヒートアップする。そっちにまで影響が出るのは堪らないことだし人として男として看過できるものではない。キレやすい先輩の逆鱗を巧みに避けつつ、自分もキレぬよう気を遣いつつ、何とか反論を試みるしようとするが、「臭い話だ」とか何とかいう理由で鼻を捻られたりして苦戦する。だいたいハガキの裏面読むなんて同じ寮生であったとしても許されんだろ。それが当たり前だろ。それを殊更「裏面は読まなかったけどな」とか何とか得意げに言われても「はあそうですか」としか言い様がない。単に自分の優位へ持っていこうとするだけの言動でしかなく虚無い腹立ちを感じるだけだ。

みたいな夢を見て魘された。これは何かの比喩なのか。夢で良かった、という夢が近ごろ多いような気がする。

Tシャツ予約コネーと思ったらリンク間違えてたのな。ばーかばーか。

カレンダー予約はこれを流用して作ろう。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ traffic [やな夢だなー]


2011-09-21 この日を編集

一見意味が通っているようで実は通っていない言葉どもを縷々流々と書き始めたnagajisがヤバい。ここでいうヤバいは本来の意味通りであって決して肯定的意味を有さない。これっぽっちもだ。毛頭もだ。そうして延髄が際限なく眠い。この状況から眠さだけを取り去ってどかどか進めたい気もするが出来上がったものの保証は出来ぬ。気の抜けた炭酸飲料の如きヌルさ若しくは駄菓子の粉ジュースの如きベトベト感ばかりが際立ったものになって後で泣きを見ること請け合いだ。

頭の中で整理したものを書くのではなく書きながら頭の中を整理していたために生じたフラストレーションが爆発炎上したものと認められる。総てが\(^o^)/オワタわけではないにもかかわらず一仕事なし終えた気でいるのは何かの罠だ。改めなければならない。改めなければならないがしかし、改める暇がないのではないか、そんな隙があるものかとも思う。いまはしばし何か書いていたい。打って文字数を無駄積みしてみたい。した所で状況が改善されないことはわかっているが書いていないと落ち着かず眠れず明日のKINIAS幹事会も寝過ごしてしまいそうな塩梅だ。書くか寝るかどっちかにしろ。

フラストレーションを溜めながら書いた割に、というよりもギコギコ書いたせいで圧縮度合いに磨きがかかってしまった。せんだって「のんびり加工」もとい「のんびり書こう」と言った口はどの口か。全然のんびりではないではないか。というわけでここで冗長な文句を垂れているということかも知れぬ。これも一種の現実逃避である。宜しいならば戦争だ。


2012-09-21 この日を編集

[C60] 番外#2

画像の説明

奈良市恋の窪新大宮ハイタウンの庭にて。奈良駅付近で見かけたものと同じもの、と思ったら若干違った。上から二段目の▽に補剛部材が入っている。


2014-09-21 この日を編集

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/843952/21


2016-09-21 この日を編集

[煉瓦刻印][] 耐火煉瓦を組み込む

ふと思い立って関西工場表に耐火煉瓦を組み込みつつある。漠然が整理されたうえにいろいろ発見があって面白い。

[煉瓦刻印] 丸三組

画像の説明丸三筧耐火煉瓦は昭和6年時点でも屋号○三を使ってた。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107975/1230

明治35年「大阪人士商工銘鑑」でも丸三。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779118/171

てことは男良谷砲台の○三は丸三耐火(丸三組)でいいんじゃないか。日本窯業の○三はfrom窯業銘鑑だからね、仕方ないね。

[煉瓦刻印] YFB

画像の説明明石市魚住で見かけたYFB。横山耐火煉瓦があったのだった。 しかし横山氏は明治27年付で山二のマークを商標登録してる。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/902305/379

樽井煉瓦が三つ鱗を使ってたみたいな謎。横山耐火煉瓦も昭和7年くらいまでやってたみたいだからなあ・・・。


2019-09-21 この日を編集

[独言][危機] うははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは

画像の説明

誰も助けてくれないのでひとりで頑張った。吹っ飛んだHDDのデータ回収に成功。

画像の説明

飛んでしまったHDDはHGSTの250GB SATA。HDS721025CLA682。BIOSでは認識するが回転しねえ。基板の何処かがイカれた模様(PCのファンが外れかかった状態で稼働させてて熱暴走を起したのが直接原因)。この容量のは幾らでも転がっているが、HGSTのでなおかつ6GBキャッシュちうのがなかなか見つからなかった。何回も日本橋に通ったんだが肩透かしばかり。そもそもPC-NETがなくなって以来中古のHDDが手に入りづらくなってて困っておる。インバースは品揃え豊富ではあるけど無闇に高いのだよな・・・。

一度180GBの同型HDDを入手してCMOS載せ替えを試したのだけれども見事に失敗した。CMOSを外す際に焦り過ぎて基板のパターンまで剥がしてしまったのもいけなかった。今回は同容量の3GBキャッシュのモデル(HDS721025CLA382)を入手できたので慎重に移植手術を実施した。無事復旧した。

復旧費用は占めて2400円と心労半年分。取り戻したのは2年分のORJ版下と修復作業への自信。完成品としてのpdfは前から無傷で、それさえありゃまあ現状維持可能なのだけれども、2年分の労苦の結晶としての版下データがデジタルの塵になってしまうのとなってしまわないのとでは内田康夫と田中康夫くらい違う。吉田茂と吉田勇くらい違う。特に福知山線レールの版下は、あれまたイチから作り直せと言われたら31秒で投げる。 画像の説明

おつかれさんのCMOS。あれ、付け替えたらBIOSからは何と認識されるんだろか。確認するのを忘れてた。

[] 足田鉄工所

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952873/440

明治27年創業ってのは意外と古い。西区九条通と新炭屋町に工場があったので旧大阪窯業工場とは近い位置っちゃあ近い位置。

前掲広告のマシンが「マロー」式なら窯業50年史のほうのはグローケ式ちうことになるな。ワルツ乗ってるしや。

[資料] レンガの神から産業用エレクトロニクスまで‐始まりから今日までのレンガの歴史‐

https://www.ziegel.de/sites/default/files/2018-10/PDF_Willi-Bender_Vom-Ziegelgott-zum-Industrieelektroniker.pdf

グローケの綴りを調べていて衝突。むっちゃ参考になりそうなんやけど独語はからっきしのぷうなんだわさ。

グローケってのはドイツ語の「幸、福」、Glück なんじゃないかと思ったんだけど上の資料には出てこないなあ。活用形で検索せんといかんのじゃろか。煉瓦はziegel。資料を公開してくれてるのもドイツのZiegel社。ゼーゲルコーンってこっから来てるんじゃね?

この資料のp.192の図が興味深い。長手にできるシワ、焼成の収縮によって生じるものと思っていたけど、型枠に投げ込むタイプで粘度が高いと詰めた時点でしわになるようだ。で、真ん中付近はぎゅっと押し込まれるので下に弓なりになる。湿式プレスのような流動性の高い粘土だときれいに行き渡る。っていう図の模様。

んでここにもBoyd式乾式プレスが紹介されとる。アメリカの乾式プレス機ということで。


2022-09-21 この日を編集

[煉瓦] 鉄道建設業協会版『日本鉄道請負業史 明治篇』p.98

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2518150/61

煉瓦製造 本線起工に当り橋梁隧道其他に必要なる煉瓦を供給するため、属村井正利を主任とし、江尻、金谷、中泉等に煉瓦製造所を設け、明治五年堺に於て製造した経験を基礎として之が製造に当らしめた。中にて江尻製造所は最も大規模のもので、清水港に面する巴川の左岸に之を設け、窯数四、その房数八十二に及び原料の粘土は巴川の上流より採取し、製品は冨士川方面へは建築列車で輸送し、洞村隧道方面へは海岸に仮線を敷設して運び、石部隧道方面へは小蒸気船の曳船にて運搬したのである。

[煉瓦] 敦賀港駅ランプ小屋@財産目録

小野田さんの論文『明治期における鉄道用ランプ小屋に関する考察-稲荷駅ランプ小屋の建設年代について-』から掘り返して『各省所管官有財産目録. 上巻 明治24-25年』に行き当たる。書かれてある通りこの目録では煉瓦造平家になってる。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/799636/210

該ブツの竣工年は柳ヶ瀬、疋田、敦賀、金ヶ崎各駅ひっくるめて同年同月着竣工になっておるのだな。具体的には柳ヶ瀬駅が14年4月起工15年11月竣工となっていて、以下同となっている。ほんとかなあ…。

少なくともM24-25頃には煉瓦造であったことは間違いない。

んで、こいつにはすべての橋梁・コルベルトが載ってるのだな。橋梁橋台が煉瓦というのもしっかり載ってる。まずい……また時間が溶ける……

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/799636/143


2023-09-21 堀田ェ この日を編集

[] 佐和山で格闘した

画像の説明半切を超ギリまで使って書いてあるので拓本が取りにくい……というか取れなかった。42cm✕141cmのを自作して持ち込んで取るしかねえ。 4時間ずっと汗ダラダラ流しながらやってまともなのがイチマイも取れなかった。湿度が高すぎて紙が乾いてくれないのも効いた…あまりにも悔しい。

右目に入ったゴミが取れない。ここ数年右目ばかりにゴミが入ってそれが瞼の裏まで入り込んで取れなくなることが多くなった。藪漕ぎして汗かいて顔を拭うと覿面にゴミが入る。汗自体目に入りやすくなっている気もする。目尻の皺が増えたので毛細管現象で目に吸い込まれていくのかも知れぬ。それはとにかく右目がゴロゴロしつづけでまことにイライラする。流水で洗っても乾いた目やにが入り込んでさらにゴソゴソする気もする。まことに困る。


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